コラム

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マンデーサロン 2013年4月22日(月)

講師: 藤田榮史教授(労働社会学)

テーマ: 研究プロジェクト報告会(3)「名古屋圏における青少年の自立に関する研究」

今回の報告を、現場でこの問題に向き合っている者として、興味深く拝聴いたしました。一般の方々にはなかなか認識されていないサポートステーションについて、評価いただいたこと、大変嬉しく思います。サイエンスカフェ

サポートステーションには、毎日、様々な問題を抱えている方が来所されます。キャリアカウンセラー、臨床心理士がカウンセリングを実施していますが、それだけでは、解決できない問題が多いようです。例えば、ひきこもり経験者やニートとされる方は、長く社会とつながりを持たずにいたことで、本来ならば得られたはずであろう安心感や、他人からの承認・自己肯定などの経験が少ないのは明らかです。サポートステーションには、そういう方々が社会とつながるきっかけを提供するという役割も必要となります。

また、ご報告にあったように発達障害特性を持った方も多いのですが、精神疾患(うつ病等)の方も一定の割合でいらっしゃいます。一度は就職したものの、病気のために退職せざるを得なかった方は、再発の恐れを抱きながら、就職活動をされています。そういう方には、福祉領域の支援と連携することで、不安を少しでも取り除くことができます。

私たちスタッフには、多様な支援ツールを開発したり、支援ネットワークを構築することも求められていると認識して、活動をしています。今年は、新たに学校連携事業も始まりました。中退者や在学生にも対象を広げて支援していこうというものです。サポートステーションに期待されるものが、事業年度を重ねていくほど大きくなっていくことに、身の引き締まる思いです。

私は、今回のこの報告会に参加させていただいて、「これからも、一人でも多くの方の笑顔を見るために、努力していこう」とあらためて思いました。このような機会をいただき、本当に感謝しております。ありがとうございました。

マンデーサロン
いちのみや若者サポートステーション キャリアカウンセラー 飯田裕子
※なお、本マンデーサロンの様子は、2013年4月23日の中日新聞朝刊で紹介されました。 >>CLICK

第58回サイエンスカフェ 2013年3月23日(土)

講師: 野中壽子教授

テーマ: 「幼児期の運動機能の発達と遊び」

もうすぐ二歳になる娘が「ぴょーん!」と言いながら片足ずつ地面から離す。何度も何度も楽しそうに繰り返すこと数日・・・ついに両足が揃って地面から離れた。その瞬間の本人の驚いた表情はとても印象深いものであった。

この様に大人になれば当たり前に出来ると思っている「その場で跳ぶ」という運動も人間は一から“遊びながら”体得していくのである。しかし、社会環境や生活様式の変化によって、幼児期に夢中で体を動かした経験の乏しい子どもたちが増えており、児童期以降の運動能力や延いては心の成長にも影響を及ぼしていると言われている。

本講座では、「幼児期に習得させておきたい36の動き」をベースに日常生活の中で遊びながら体を動かすヒントをたくさん頂く。留意点として「子どもは発達しようとして運動するのではない、楽しいからと何度もやっているうちに発達するのである」と野中教授。子どもの発達を近くで見守る大人たちは、「運動機能を発達させよう!」と力んでやらせるのではなく「動くこと・運動することを生活の中で自然に取り入れられるような環境」を意識的につくりたい。

子どもと車で買い物に行き、抱っこで店まで移動し、カートに乗せて買い物をさっと済ませ、重い荷物も全て大人が持つ。効率重視の大人の活動が、子どもの自然な発達機会を無意識に奪っていく。

「子どもはゆったり育てましょう」あちらこちらで言われる言葉の意味が、心の成長の為だけではなく、運動機能の発達の機会を奪わないように、ということにも当てはまると気付かされ、子どもとの生活を見直すよいきっかけとなった。

マンデーサロン
森田 聡恵(市民)

マンデーサロン 2013年2月18日(月)

講師: 山田明教授(地域政策論)、吉田一彦教授(日本古代史、日本仏教史)

テーマ: 研究プロジェクト報告会(2)「名古屋の歴史・文化・まちづくりと観光」

この度は、このような会に参加させていただき誠にありがとうございました。知識の乏しい中学生に対しても気を遣っていただき、わかりやすく且つ興味をもちやすい発表でした。「外から名古屋を見る」という視点に立つ機会の少ない中学生にとって、他の地域と比較する大切さを知り、さらに自分が住んでいる名古屋について改めて考えることで、今後の生活にも大きな刺激を与えることができたと思います。また、市民の方々が自分の街について熱心に学び、将来について真剣に考え議論を重ねる姿も、印象的だったと思います。教員以外の大人が「何か」を学び考える姿に触れるのも初めてで、「勉強へ取り組む姿勢」や「学ぶということは一生続けるものだ」ということを実感できたと思います。普段の学校生活では、「成績を上げる」とか「良い点数をとる」といった目的以外に、遊ぶ時間を割いてまで時間を作り出し、与えられたもの以外に勉強しようとする生徒は、なかなかいません。しかしこの場には、「学びたい」という意欲があふれており、興味深く且つ刺激的な時間を過ごすことができました。私個人としても、働き始めてからこういった「学びの場」に参加する機会が減っておりました。様々なものに触れ、学生時代よりも学習興味の幅が広がっている今だからこそ、これからも積極的に参加させていただけたら幸いと感じています。ありがとうございました。

マンデーサロン
三好伸明(名古屋経済大学高蔵高等学校中学校教諭)
当日参加の生徒さんの感想文はこちらからご覧になれます。 >>CLICK

第57回サイエンスカフェ 2013年2月16日(土)

講師:宮田 学教授

テーマ:「日本人英語に見られる誤りーその傾向と対策」

「タイトルが良かったのでしょうか、こんなに多くの皆様にお集まりいただき有り難うございました」とご挨拶されて宮田学先生の講演が始まりました。会場は満席、事務局は溢れた方々のため二回目の講演も用意されたようです。英語教育の第一人者として知られる宮田先生のユーモアと流暢な英語による実例を交えた解説に、参加者は目から鱗の連続で、まさに感動の2時間でした。市民の皆様にこのような機会を提供出来ましたことを誇りに思います。

戸苅 創(名古屋市立大学学長)
サイエンスカフェ

マンデーサロン 2013年1月29日(月)

講師: 土屋勝彦教授・田中敬子教授・山本明代教授

テーマ: 研究プロジェクト報告会(1)「世界文学におけるオムニフォンの諸相」について

オムニフォンとは、「あらゆる言葉が同時に響き渡る言語空間」において、言語的コミュニケーションの中枢となる規範言語に抗い、少数言語に隠された文学的機能をすくいあげるという意味がある。質疑では、少数言語が母語を超える「揺らぎ」の可能性についての議論が主なトピックとなった。方言や土着の言葉で書かれた芸術作品に触れた際、一種のノスタルジアを感じたり、その異質性からエキゾチシズムを掻き立てられたりといった経験は、誰しもあるだろう。それが一種の「揺らぎ」であり、社会化の過程で失った、言語を介さないコミュニケーションに基づく世界との一体感への、母体回帰のような感情へ結びつく。

「少数言語」は、あらゆる感情を伝える可能性を秘めた文節不可能なツールとしての「声」と、文法、発話、理性的構成などのルールを無視すれば即、理解不可能に陥るもろさをひめた「規範」との、いわば中間の領域にある。失われつつあるマイノリティとシンクロしようとする文学的試みは、現在の「われわれ」を形作る源となった「根源」を遡上し、「いま」を知る可能性へと繋がる。それは「退行」ではなく、新たなアイデンティティのあり方を見つける可能性へ向かって開かれているといえよう。

マンデーサロン
山尾 涼(同研究科研究員)

マンデーサロン 2012年12月17日(月)

講師: エリック・ロフグレン氏 (バックネル大学教授、Associated Kyoto Program, Resident Director)

テーマ:「現在の留学のあり方~これでいいのか~」

まず、最初に誰もが驚いたことはロフグレン氏のあまりにも流ちょうな日本語であろう。なぜ、それほど日本語がうまくなったのかという疑問を持ちながらお話を聞いていくと、彼の日本での留学生活が要因であることがわかった。

ロフグレン氏は「留学とは何か」という問いの答えは、期間や年齢にかかわらず、異文化の中に入り込んで、勇気を出して失敗をおそれないで、異文化社会の人々と接することで、十分にコミュニケーションができない「不安感」を乗り越えようと努力する体験が留学であると語った。このような30年前の彼の留学体験によって、彼は日本文化を「学んだ」以上に「身につけた」。

次に「現代の留学の問題は何か」に対しては、若者が留学先で感じる「不安感」を自分一人で乗り越えようとしないことであると言う。現代の留学生はどこに行ってもインターネットの母国語に逃げることができるので、言葉が通じない「不安感」を乗り越えようとする苦しい体験をしようとしないからである。今後は、留学による直接体験がインターネットの魅力より大きいこと、そして、インターネットのつながりよりおもしろいと思わせる留学の何かがあることを知らせることが必要であると提言された。

今回、私は根本的な「留学とは何か」ということについて考える必要性を知った。そして、留学は年齢も期間も関係なく誰でもその文化に飛び込む勇気と、文化を身につけたいと思う意欲があることが重要であると知って、若者だけでなく、熟年者も留学できるのだ!と「期待感」を持てたことはうれしいことだった。

マンデーサロン
伊藤 泰子(同研究科研究員)

56回サイエンスカフェ 2012年12月15日(土)

講師: 野中壽子教授

テーマ: 「幼児期の運動機能の発達と遊び」

1児の母として、野中先生のお話を聞きに伺いました。

お話は発達段階の説明から、具体的な運動の実践方法まで多岐にわたり、大変興味深い内容でした。 文科省は3才~6才の子どもに、毎日60分以上楽しく体を動かすことを推奨しているそうです。毎日60分!と思いますが、外遊びや、掃除のお手伝いといった日常的な生活の中に、楽しく体を動かすコツがあるとのこと。特別な道具を用いなくても、例えば1つのタオルで瞬時につかむ遊びや飛び越え遊びなど様々な楽しい遊びがあることを見せていただきました。

また、幼児期に習得させたい36の基本的な動きの説明がありました。なにげないボール遊び1つをとっても、空間認知能力を育む重要な遊びとのこと。物を受けたり的に当てたり、空中にあるものの動きにあわせて自分の位置をかえることで、空間を認知していくそうです。その他、さまざまなことをグラフや映像などを使って説明していただき、もっともっとお話が聞きたいと思いつつ、あっという間に時間が終わりました。 子どもにどうやって、運動をさせたら良いのか・・・と思っていた私には、大いにヒントになる刺激的な内容でした。

生田 京子
サイエンスカフェ

マンデーサロン 2012年11月5日(月)

講師: ブライアン・リーさん(香港特別行政区政府教育局訓導和輔導組督導)

テーマ:「香港の教育―輔導(ガイダンス・カウンセリング)の発展の過程」

マンデーサロン私が香港オタクになったきっかけは、高校不登校の引きこもり中に偶然見た一本の香港映画である。その後、香港の大衆文化研究で修士号を取得し、香港中文 大学に留学。映画誌への執筆、カルチャーセンター講師もつとめた。今や香港人の身内がいることもあり、「香港」の二文字 に相変わらず敏感である。ちょうど、今回のテーマの関連文献といえる『公教育と子どもの生活をつなぐ香港・台湾の教育改 革』(山田美香著、風媒社)を拝読中だったこともあり、家族全員で出席させていただいた。

我ら港日家族にとって香港の教育現場の問題はどれも当事者となりうる問題で、特にいじめ問題は興味深い。寝屋川市中学生いじめを題材にした演劇が教材として用いられているとのことだったが、香港では日本と異なり、クラスで集団的に1人をいじめるといったことは起こり得ないと聞いている。力の強い子どもが弱い子を個人的にいじめ、傍観者はあくまでも傍観に徹するという香港型いじめの具体的事例もドラマ映像などで拝見してみたかった。

個人的に関心を持ち、正に情報収集中である「香港の義務教育の場における広汎性発達障碍児への支援」についても、質疑応答で通訳の山田先生に助けていただき、李先生から丁寧な解説をいただいたうえ、教育現場でいじめ防止をアピールする缶バッジまでお土産にいただき、とてもよい記念になった。

マンデーサロン
井藤知美(フリーライター)

55回サイエンスカフェ 2012年10月20日(土)

講師: 野村直樹教授

テーマ: 「みんなのベイトソン 学習するってどういうこと?」

希代の思想家といわれるグレゴリー・ベイトソン。その第一人者の野村先生が登場されることを知り、京都から参加しました。愛知県外では、東京、大阪、神戸からの参加者もおられました。 サイエンスカフェ

先生は飾らぬ語り口でやさしく話し始められました。お話が進むに従いどんどん引き込まれ、あっという間に2時間が経過。終了後も参加者との対話が続きました。ベイトソンに会ったことはありませんが、きっと先生と同じように話していたのではないでしょうか。

先生がお話しされた内容のほんの一端だけですが列挙します。ベイトソンは脱デカルトとして思考空間を広げる。意味はモノにではなく関係性にある。現実は区切り方次第で変わる。コミュニケーションが社会組織を生み出す。コミュニケーションは個ではなくやりとりを単位としてみる。コミュニケーションは変化であり学習である。変化には状態の変化と行動様式の変化がある。学習には、反応が一定のゼロ学習、試行錯誤を伴う学習Ⅰ、型となり変化しにくくなる学習Ⅱ、型を超え変化させる学習Ⅲがある。ベイトソンの関係性の科学は、見方を変える自由、可能性をもたらす。

野村先生のご著書『やさしいベイトソン』『みんなのベイトソン』は、最良の入門書だと思います。難解とされるベイトソンについて、これほどわかりやすい説明に出会ったことはありませんでした。今回、先生ご本人からさらに噛んで含めるようにご説明いただき、理解が一層深まりました。 このような貴重な機会をご提供いただいた野村先生、スタッフの皆様に心より感謝申し上げます。

鈴木 隆(大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所)
サイエンスカフェ

マンデーサロン 2012年10月15日(月)

講師: 中原 聖乃さん(名古屋市立大学非常勤講師、中京大学社会科学研究所特任研究員)

テーマ:  「放射能リスクと離散リスクにゆれる

マーシャル諸島ロンゲラップコミュニティの 帰還プロジェクト」

マンデーサロン私の地元静岡県焼津市は「第五福竜丸」の母港です。次の世代に核の脅威を伝えたいと思い、市民活動をしています。マーシャル諸島には2回行き、被爆者の方達とお話をする機会もありました。

「放射能リスクと離散リスク」、本当に難しい問題だと思います。島(故郷)に戻りたい、しかし、放射能のリスクが怖い、帰島して生活したら自分達だけの問題ではない、次世代にも放射能の影響があるのではないかという不安。 マーシャルの人達は被曝によりさまざまな病気に悩まされています。治療の為に飲み続けている薬の副作用にも悩まされています。 島の人達がこのように思うのは当然の事だと思います。この苦しみは自分達を最後にしてほしいと言っていました。第五福竜丸の乗組員も同じ事を言っています。 私は、今の福島も同じ状況に置かれていると思います。福島の未来とマーシャル諸島の今は同じではないかと感じます。

杉本 智子(yaponesiafreeway)

2011年と2012年に、マーシャル諸島共和国へ行ってきました。私は静岡県焼津市に住んでいますが、焼津市は1954年アメリカによる 水爆実験「ブラボー」の被害にあった第五福竜丸の母港です。

マンデーサロン 中原さんのお話で、マーシャルの現状を知ることができました。私たちがマーシャルを訪れた時には、2012年12月までにロンゲラップに帰島しないと、アメリカは毎月の援助資金を打ち切る、と聞きました。私は、島全体の除染が完了してはいないのに、27年ぶりに島に帰るのだろう か?とドキドキしていましたが、今のところ、島民の大きな引越しはない、ということでした。故郷に帰りたい人が半数以上、しかし、手放しで喜べない現実。これからもその不安は続くのではないかと思います。 他にも、「ジェーヌクン」というタコの木から作られるようかんのお話が印象に残りました。今ではロンゲラップ島民全員が「ジェーヌクン」を 作れるそうです。

日本やアメリカの統治によりマーシャルの人々の生活が変わってしまった今、昔ながらの物を復活させる動きは、とても素晴らし いと思います。 今回マンデーサロンに参加できて、本当に良かったです。中原さんのお話で、マーシャルのことにもっと関心が出てきました。ありがとうございました。

池谷千穂 (yaponesiafreeway)

54回サイエンスカフェ 2012年9月15日(土)

講師:上田敏丈准教授

テーマ:「保育園・幼稚園の先生は、何を『見守る』のだろうか?~子どもと関わるために~」

サイエンスカフェ

54回目のサイエンスカフェの講師は若きホープ、上田敏丈准教授。
会場には園長、現役の保育者、子育て中の母親、学びたい意欲満々の紳士、私のようなかけだしの研究者等、実に様々なお顔ぶれであったように思う。

子育てにおいて「見守る」という定義から始まり、事例DVD視聴、ディスカッション、質疑応答という流れであった。それぞれの立場と視点から、思い思いの意見や質問が途切れることなくあった。

心に残ったキーフレーズは、「見守るということは、私はここにいるのよ~という安心感、子どもとの信頼関係」。保育者にはもちろんのこと、世の母親たち全てに聞いてほしいキーフレーズであった。日本の保育専門性の高さというキーフレーズも何度も紹介していただき、感情労働と言われる仕事であるがその礎を実感した指摘であった。

カフェには、リラックスしたり、議論を楽しんだり、好きなときに来て好きなときに出ていけるというイメージがある。そのため誰とでも対等の関係、すなわち、環境は様々だが、敬意においては対等の関係で話題と時間を共有して議論することができる場だと言える。

この日の会場は、いつものカフェではなく、講義教室であったが、それもまた新鮮で、加えて先生方始め、スタッフの方々の温かい雰囲気作り~まさに環境作りがNICE!~だったおかげで発言にも自然と笑みがこぼれたり、拍手が沸き起こったりするなど、まさにほっとするカフェテリア空間が大変居心地良く感じた。「え~もう終わり~?」「またやろうね~」「ありがとう」「楽しかった」。保育をするうえで子どもたちのこういった発言が出たら大成功! 楽しい時間に心から感謝申し上げる。

加藤博子(保育養成校実習担当教員、名古屋市子育てサポーター講座講師)

53回サイエンスカフェ 2012年8月19日(日)

講師: 古賀弘之准教授

テーマ: 「保育と音楽―乳幼児にとって音楽活動はどんな意味があるの?」

サイエンスカフェ

8月のサイエンスカフェは古賀准教授を講師に迎えて行われた。託児つきに加え親子参加のワークショップもあるということで、大盛況であった。

まず「ちゃちゃつぼちゃつぼ」の手遊びでウォーミングアップ。参加者全員が挑戦した。しかし簡単にできた方から苦戦する方まで様々。一気に笑いがあふれて和んだ雰囲気となった。続いて音楽教育の代表的メソッドの紹介から、わらべうたの効果へとお話が進められた。わらべうたは話し言葉の延長線上にある音楽で音程の幅が2~3度と狭いことや、わらべうたを歌いながらの遊びは身体動作やグループ行動を伴うため、乳幼児の音楽的発達ばかりでなく身体能力や社会性の発達の側面から有用であることが説明された。

後半はワークショップ。会場内の託児スペースで、乳幼児と保護者の方々、保育士の方、保育士志望の学生さんと一緒に実際に古賀准教授がわらべうた遊びを実践してくださった。ぐずり声や泣き声が聞こえてきた前半とはうってかわって子どもたちの笑い声。もちろん大人からも笑顔があふれた。

保育の現場でわらべうたを扱うことは以前に比べ少なくなったと聞くが、様々な側面からの効果をこうして改めて聞くと、古賀准教授には保育士養成の面からわらべうたの継承に努めてほしいと願うばかりだ。

そしてもう一点。全体を通して、お父さん方や祖父母世代の方々の熱心な姿も印象的であった。子育て支援策が急務となっている日本だが、母親だけが育児を抱え込まない社会の動きを見た感があり、日本の将来に一筋の光を感じたのは気のせいではないだろう。

梶田美香(人間文化研究科博士後期課程修了生、名古屋芸術大学非常勤講師)

マンデーサロン 2012年7月23日(月)

講師: 金子 力さん(ピースあいち スタッフ)

テーマ:「空襲体験を記録する運動の歴史」

マンデーサロン今回は「空襲体験を記録する運動の歴史」と題して、ピースあいちスタッフの金子力氏よりお話を頂いた。金子氏は永らく中学校の教師をされていたということだが、教師の傍ら空襲や戦災の記録を残す運動をされてきたそうだ。

お話は、空襲、戦災を記録する運動の歴史を中心に展開され1945年終戦から60年代は空白の時代として、その記録を残す運動はほとんどされていなかったが、70年代に入りその活動はひじょうに活発となる。60年代までは、戦後GHQ占領軍に対する配慮もあったし、日本国民があの戦争を客観視できない状況にあったからではないかと説明された。しかし、1970年に「東京空襲を記録する会」という団体が立ち上げられてから、全国的にその運動は広がっていく。90年代に入ると、米国の情報公開が進み、記録の裏づけが可能となり、様々な新情報も表面化される。とりわけ注目すべきは、市民ネットワーク団体が米国側資料の入念な調査を実施し、新事実が明確になり、それまでの通説を覆し、新たな歴史のぬりかえが成されたということである。マンデーサロンこれを学者や専門家ではなく、市民団体が行なったことに大変意義があると思われた。

また興味深かったことは、戦前米国は日本各地の都市の詳細を綿密に調査しており、来たるべく日米戦争に備えていたという事実である。この時の調査が米国にとって、後の日本空襲に有効なことになるのである。米国の徹底したその情報収集力には驚かされた。最後に、模擬原爆投下にふれられて、あまり知られていない空襲の実態を知らされた。

個人的にもたいへん勉強になったご報告であった。

門池啓史(「市民学びの会」会員)

52回サイエンスカフェ 2012年7月22日(日)

講師: 藤田栄史教授

テーマ: 「子ども・若者にやさしいまち名古屋をつくる

  ―子ども・若者・子育て家庭の貧困・困難と支援政策を再考する―」

サイエンスカフェ

はじめてサイエンスカフェに参加させていただきました。大勢の方が参加されており、関心の高さにちょっと驚き、どんな方々なのか、知りたい気がしました。

私自身は、自分の子育てが始まったときからこのテーマに関心を持ち続け、仲間をつくって子どもによい環境をつくる活動を続けています。いまの名古屋市が子育てしやすいと思っているわけではありません。社会は変わるし、必ずしも良くなっているとは言えない。でも、良くなる道筋をつけて行くのは、今を生きる者としての務めではないかと思っています。サイエンスカフェ

藤田先生のお話は、テーマに沿って、とくにご専門の労働社会学の立場から、‘子どもの貧困’問題に目を向けた内容でした。たくさんの資料を用意してくださり、それに沿ってのご説明は、労働社会学には素人でもわかる、簡にして要を得たものでした。そして、最後のまとめで、名古屋市の今後に向けてのいくつかの問題提起―福祉・保育・教育・保健等、関係機関・専門職の横のつながりの強化、就労支援等に基礎自治体が役割を担うこと―によってよい方向に変えられるのではという展望を話されました。今後もこの問題について藤田先生とごいっしょに研究を進めて行きたいものと、改めて思いました。

奥田陸子(NPO法人「子ども&まちネット」理事)

51回サイエンスカフェ 2012年6月24日(日)

講師:小林かおり教授

テーマ:「アジアのシェイクスピア上演」

サイエンスカフェ6月24日(日)、名古屋市立大学の「サイエンスカフェ」で小林かおり教授の「アジアのシェイクスピア上演」を聞く機会を得ました。演劇好きな私にとっては、とても面白く、興味がひかれるお話でした。

シェイクスピア劇が世界を駆け巡って、今アジア、とりわけ最近、韓国で盛んだとのことで「ああそうなのだ」とびっくりしたり感心したり。教授が言う「異文化との融合・・・アジア諸国の劇団との共同」とは、何か奥深いものを感じますが、人間にはどの国でも、どの時代でも普遍的に共通する流れがあるということでしょうか。それにしても、様々なシェイクスピアがあるのですね・・・。

約37~38本書かれた作品の変遷に興味が湧きます。歴史劇から始まって、喜劇、悲劇そしてロマンス劇とシェイクスピアだけでなく、人の人生の変遷そのものではないか。人は決して一人だけでは生きていけない。それぞれの時代の中で、苦しみ、もがき、そして喜びを得ながら生きていく。シェイクスピア(1564年~1616年?)も同じだったと思います。

エリザベス一世(1558年~1603年?)の時代なしには、これほどの作品はなかったと聞きます。イギリスはこの時代世界へ羽ばたいていく時代でもありました。その時代的背景にも興味がそそがれます。

我々はどうだろうか。いまや、日本も含めて世界中がさまざまに変動し、いつ何が起こるかわからない時代にいます。これからは暗澹たる時代が来てしまうのか、すばらしい時代を迎えることができるのか。いま生きている私たちに何ができるのか、どう生きていったらいいのか。

演劇は人間に与えられた武器です。いまどんな芝居なのか。そしてシェイクスピア劇で言えばどの作品なのだろうか。「演劇は自然を映し出す鏡(ハムレット)」とは・・・。 どうもありがとうございました。また、いきます。

小原 昭三(名古屋演劇鑑賞会)

マンデーサロン 2012年6月18日(月)

講師:山田美香教授

テーマ:「人間文化研究叢書第2巻 公教育と子どもの生活をつなぐ香港・台湾の教育改革」

大学には、マンデーサロン授業以外にも様々な学びの場があります。せっかくの機会を活用しないのはもったいないことです。また、テーマにも興味があり、初めて参加しました。

山田先生の著書「公教育と子どもの生活をつなぐ香港・台湾の教育改革」の内容紹介と、現地での調査・取材の様子がスライドで紹介されました。 地理的には近いのですが、香港や台湾の学校教育制度についてや、どのような福祉的教育政策がとられているのかについては、あまり知識がありませんでした。日本との違いや比較のお話を興味深く伺いました。

日本以上に充実している、授業料の無償化や奨学金などの経済面での支援制度。ソーシャルワーカーの配置など、多様な学校支援の様子。政府が積極的に不登校児への対応策をとっていることなど、日本が両地域に学び、取り入れていくとよいのではと思うことがありました。

有賀先生のコメントや、参加されていた先生からの質疑応答など、先生同士の意見交換の様子を間近に見聞きできたことも、非常に刺激的で、学ぶことが多々ありました。

伊藤稔弘(同研究科博士前期課程)

50回サイエンスカフェ 2012年5月27日(日)

講師:安藤 究 准教授 

テーマ:「『祖父母という経験』を考える」

 「こういうの大好き!」と笑顔の、5人の孫がいるという女性と席に着いた。多くは祖父母世代で、若い人も混じり、ほぼカフェの席が埋まるほどの 参加者であった。

ケーキとお茶付のおしゃれな雰囲気の中で、戦後日本の人口変動と家族変動という社会の変化がサイエンスカフェ、「祖父母」にどのような変化を及ぼしているかについてデータが示され、サイエンスカフェがはじまった。現在の祖父母は、戦後の著しい平均余命の伸長と出生率の低下から、かつて自分が孫として経験した「祖父母-孫」関係とは大きく異なる「祖父母という経験」をしている。かつては相対的に多くの孫と短い期間の経験であったものが、現在では相対的に少ない孫と長い期間を祖父母として過ごすことになるというものである。

また、戦後日本の家族変動が、「祖父母という経験」に与える影響についても検討された。戦後の日本の家族は専業主婦化で示される近代家族の普及と、その揺らぎの時代の2つの段階を経てきたというこれまでの知見が紹介され、現在の祖父母は、成人期に近代家族と親和的なジェンダー化されたライフコースを歩んできたことが、祖父性と祖母性に反映されていると指摘された。祖母は加齢によって「祖母であること」の重要性に変化は見られない が、祖父は就業状況の変化などから、加齢とともに孫への関心が増大する傾向が認められる。今後は、政策的に祖母力の活用のみでなく、祖父力に注目することが必要であると提言された。どのようにすれば祖父母が孫の発達に影響を与えることができるのかなど、今後の祖父母研究の成果にも期待が持たれる。

「おじいさん」「あばあさん」という呼称についてなど、経験をとおした質問に活発な意見も相次ぎ、アカデミックな雰囲気のカフェを満喫した。

田中 和子(大学院修了生)

49回サイエンスカフェ 2012年4月15日(日)

講師:阪井芳貴教授 

テーマ:「復帰40年を迎える沖縄から見えるもの」

 20120415サイエンスカフェ

今年の5月15日で1972年に日本へ本土復帰してから40年を迎える沖縄。その日を迎える前に改めて、沖縄文化研究ご専門の阪井教授のお話しをお伺いしたいと思い参加した。当日、会場には思いを同じくする人が多数出席され、活発な質問・意見交換もなされ有意義な時間となった。

私自身は名古屋生まれの名古屋育ちでありながら、仕事や家族関係を通じて沖縄に関わってきた。好きがこうじて沖縄に何度も通った時期もあり、現在も沖縄文化研究会に参加するなど、沖縄の文化・風習・歴史について深く知りたいと思い続けている。しかしながら、今回のサイエンスカフェも含め、沖縄について考える会に参加するたびに自分の理解の浅さにあらためて気づかされる。沖縄は知れば知るほど、奥が深い。以前読んだ“沖縄を知る事は自分を知ることである”という記事に「自分自身が何もわかっていなかったことに気づくこと。矛盾と葛藤を抱えた沖縄の歴史と今を知る事は、日本を考えることにつながる」と綴られていた。真実を突いていると思う。

阪井先生のお話で、最初に心に響いたのは、琉球王国が1879年の琉球処分まで450年にわたり小さいながらも独立を保ち続けた王国である事実を、今の沖縄が大きく自覚し誇りに思っている事である。徳川幕府の300年と比較しても、その年月の長さは並々ならぬ偉業であると気づかされる。それを琉球の人々は今でも静かに誇りに思い、「日本とは違うんだぞ」との意識を伏流的に持っている事実を好ましく思った。沖縄には独特の方言がありそのチャンプルー文化は日本とは全く別の独自の側面が強い。そこに私は惹かれてきたし、沖縄の人が自分たちの琉球に静かに誇りを抱いていると知り心躍った。

沖縄で、今も地下水脈のように現在も流れ続けている『沖縄(琉球)独立論』についても言及され、最後の質問コーナーでも改めてその点が問われた。“現在も「復帰してよかったのか。独立すべきではないのか」の声が強いのは何故なのかを我々(ヤマト)の問題として考えるべきである”との阪井先生の指摘にはハッとさせられた。“沖縄の人々が根深く持っているマグマ”に目を向けること。私たちヤマトの人間が、近代・現在を含めた歴史を踏まえ、“率先して沖縄で起きている現実にアンテナを張っていく大切さ”を改めて先生は説かれた。それは、沖縄を通して見えてくるこの国のありようを、目をそらさず、見つめ続け、考え続ける役割を今のヤマトに住む大人たちが担っているという事に他ならない、と先生は結ばれ、深く考えさせられた。

例えば、「山梨県・岐阜県にかつてあった海兵隊の基地が徐々に沖縄に移って行った事実を、現在の各県の大人達はどれくらい知っているか。こういう事実をヤマトンチューがもう一度思い出す事の大切さ」について触れられた。ベトナム戦争、湾岸戦争、911以後のアフガン・イラクでの戦争で、常に沖縄のアメリカ軍基地は戦闘機が出発する最前線基地であった。ベトナムには、沖縄を“悪魔の島”と見なしている人々がいると聞いた事がある。いつしか間接的に戦争の加害者の立場になっているのだという自覚を、私たち本土の人間は持てているだろうか。言うまでもなく、観光が沖縄の唯一無二の基幹産業である。『癒しの島』というイメージは快く受け入れられても『戦争が見える島』には誰も行こうとは思わない。“戦争”と“癒し”のギャップをどうするのかを我々自身が迫られていると、先生は問いかけられた。普段のほほんと暮らしている自分に、その視点は欠けている。忘れがちだ。折に触れ、喚起させられないと忘れてしまいがちな事実であると覚えておかなければ、と切に思った。

文部省唱歌“蛍の光”が、実は軍国主義そのもののとんでもない歌であったとお話しにありとても驚いた。子ども時代から当然のように歌ってきた曲だ。衝撃的だった。蛍の光は実は4番まであり、その一節『千島の奥も 沖縄も 八洲(ヤシマ=日本本土)の内の 守りなり』は、「千島列島・樺太・沖縄は北海道から九州までの日本国を守るためにあり軍事的な防人である。」と唄っているという。そういう歌を何の疑問も感じず、子ども時代の自分は普通に歌っていたと知り、愕然としてしまった。

復帰からの40年は、日本政府の沖縄振興策によって沖縄の人々に依存体質を作り上げていった40年間でもあったこと、そして教科書問題をはじめとする昨今の動きに見られる沖縄内部の保守化は何を意味するのかのお話しは非常に印象深く自分の中に残った。沖縄は、琉球王国時代から経済的に弱い立場だった歴史を踏まえて、人々はしたたかにならざるを得なかった事。どこに近寄り、頼りにしていけば生きていけるのかを、常に模索して日和見的に生きざるを得なかった事を学んだ。

阪井先生の今回のお話しを通して、自分がやはり沖縄を愛し、沖縄の人々に深く尊敬の念を抱く気持ちを禁じえない事に改めて気づいた。そういう意味でも有意義な機会であった。 その自分の気持ちに背かぬ為にも、あきらめずに考え続ける姿勢を持ちたいと思っている。

サイエンスカフェのような取り組みは、『考える』事が仕事である大学が、社会に還元する形として非常に意義深いと思う。学内の大学生のみならず社会一般に、考え続ける機会を提供し、思考停止に陥りやすい状態・性質にストップをかけてくれる。その為に努力を惜しまない阪井先生をはじめとする先生方に敬意と感謝の意を表したい。

比嘉 綾(市民)