平和主義と正戦論

グローバル化と暴力の制御、あるいは「9・11」の衝撃―

 

別所良美

(名古屋市立大学 人文社会学部)

 

                   はじめに

 二〇〇一年九月一一日、乗っ取られた民間旅客機ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンに激突するという悲惨な事件が起こった。巨大なツインタワーが倒壊し、何千人もの一般市民の犠牲者が出るというテロ事件は未曾有の出来事であった。その後、『九月一一日以降、世界は全く変わってしまった』とメディアは再三繰り返していた。しかし一体何が変わったのか。アメリカが定義する「正義」に従って、アフガニスタンへの軍事攻撃に始まる、「反テロ戦争」という名の軍事的暴力が世界に拡散することではないのか。

 本稿は「9・11テロ」[]の衝撃がもたらした変化を「平和主義」の危機と「正戦論」の復活という観点から考えてみたい。

 

1)      暴力のグローバリゼーション

 九十年代の世界を回顧すれば、それは経済における「グローバル化」と思想における「新自由主義」が席巻した時代だと言えるだろう。日本ではバブル経済の崩壊とその後の構造的不況のなかで、「リストラ」という名前の「人間の切捨て」が行われ、社会的・経済的格差が今後さらに拡大する気配を見せている。この社会的・経済的格差は、日本のみならず世界のあらゆるところで広がり、グローバリズムに対する反感は一九九九年末にシアトルで開催されたWTO(世界貿易機関)の閣僚会議に対してさまざまな団体が起こしたデモや騒乱という形で現れ、二〇〇一年七月のジェノバ・サミットでの混乱では死者まで出た。

 もちろん、新自由主義的グローバリズムが世界的な貧富の格差を生み、それが国際的テロの原因であると言おうとしているわけではない。国際資本主義に搾取された人々の抵抗が「テロ」だという単純な説明が成立するはずもない。しかし新自由主義的グローバリズムが、単なる経済のグローバル化にととまらず、経済システムを支えている政治的そして軍事的システムに支えられねばならないことが明らかになりつつあるのではないか。新自由主義の背後には「暴力」の問題が潜んでおり、「平和主義」の観点から問題を考察する必要があると思われる。

 911テロ事件の後、米国はこのテロの首謀者と推測されるサマ・ビン・ラディンとテロ組織「アル・カイーダ」の引渡しをアフガニスタンのタリバン政権に要求した。「証拠」の提示を求めつつ、引渡しに消極的な姿勢を見せたタリバン政権に対して米国は一一月七日に軍事行動を開始した。この軍事行動に際してブッシュ米大統領は、アメリカに対するテロ攻撃は「自由と民主主義」に対する攻撃であり、それゆえ自由の側に立つ者はアメリカとともに「反テロ戦争」に参加すべきであり、野蛮なテロに対する「文明全体の戦争」には中立の立場は存在しない、と説いた。倒壊した世界貿易センタービルや被害者の家族の悲嘆の映像が米国メディアを通して二四時間世界に流された。「被害映像」という抵抗しがたい「正義のシンボル」を掲げつつ、米政府は軍事行動への参加を世界に迫ったわけである。日本政府も恭順の意を表し、一〇月二九日に参議院本会議で、自衛隊による対米支援に関する「テロ対策特別措置法」を成立させた。一一月一六日には、同法に基づく「対応措置に関する基本計画」を閣議決定し、国会の承認を得て、米軍の軍事行動の「後方支援」を行うために自衛隊を海外に派遣することになった。この「特別措置法」によると、自衛隊員は単に隊員自身の身の安全を守るためだけではなく、「自己の管理の下に入った者の生命又は身体の防護のため」にも武器の使用が許されることになっている(第一二条)。正当防衛や緊急避難の範囲が広げられ、海外に派遣される自衛隊は限りなく「日本軍」へと近づいてゆく。「憲法の範囲内で可能な限りでの米軍への支援」という小泉首相の言葉は、戦後繰り返されてきた憲法九条の空洞化の最後の言葉となるのだろうか。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、「国の交戦権は、これを認めない」と規定する憲法第九条の存立そのものが今回の「反テロ戦争」において問われている。

 9・11テロとその後の「反テロ戦争」が提起している問題は、いわば「暴力のグローバリゼーション」であり、国際的なテロを撲滅するためには軍事的暴力の行使が容認されるという世界的風潮の広がりに対して、平和主義が対抗力を失いつつあるのではないかという問題である。テロ撲滅という〈正義〉の前に〈平和主義〉が屈しつつあるのではないか。米国主導の「反テロ戦争」に対する日本の対応も憂慮すべきものであり、憲法の平和主義が危機に瀕していると思われるが、ドイツの状況を見ると平和主義の危機は深くその理論的問題に関わっていることがわかる。過去の戦争への反省と平和主義とが必ずしも結びつかないという状況がある。このような状況を見て、日本の平和主義は何を考えるべきなのか。本稿では戦争への反省における「被害者意識」の再評価という観点を提案するが、これについてあらかじめ説明しよう。

 

2)      過去の反省と平和主義

 先に述べたように、日本ではほとんど何の国民的抵抗もなく、日本国憲法の「平和主義」が空洞化させられている状況である。それは、日本人がアジア・太平洋戦争における侵略行為や戦争犯罪に対する「反省」を十分に行っていないことに理由があるのだろうか。「反省」の不徹底さが、戦後日本の「平和主義」を脆弱なものにしてしまったというべきなのか。しかし、日本と比べ、過去を深く反省し続けていると言われるドイツでさえ今回の「反テロ戦争」に〔日本以上に〕積極的に参加している。二〇〇一年一一月八日にシュレーダー首相はドイツ軍の海外派遣を国会に諮った。テロに対して文明世界全体をまもるために「アメリカ合州国に対して無制限の連帯」を約束し、ドイツ軍をアフガニスタンに派遣することになった。ドイツのシュレーダー政権は社会民主党SPD)と緑の党との連立政権であり、両党ともかつて反戦・平和を掲げ、とりわけ緑の党は非暴力主義・平和主義を党綱領に掲げてきた政党であるしかもシュレーダー連立政権は二〇〇〇年七月六日には、総額一〇〇億マルク(約五四〇〇億円)の基金を設立し、ユダヤ人を中心としたナチス強制労働被害者に対する個人補償を行うために「記憶、責任、未来」基金法案を連邦議会で成立させている。過去の反省を重視する政治勢力がまさに、今回の軍事行動容認と共同行動へと踏み切ったのである。過去の反省に積極的ではなく、「普通の国」になることを望んできた現野党のキリスト教民主同盟CDUがドイツ軍の海外派遣を行っているわけではないのである。

 反テロ戦争を契機として現れてきた平和主義の危機は、「過去の反省」のどんな内容が平和主義を補強したり、また場合によっては否定的に作用したりするのかについての再考を促している。戦争という過去に対する反省のタイプをさしあたり「被害者意識」と「加害者意識」とに分けてみると、ヒロシマやナガサキが想起される日本の場合には「被害者意識」が強く、そのためにアジアの人々に対する加害の事実や賠償の必要性が忘却されると批判されることが多い。それに対してドイツの場合は「アウシュヴィッツ」が想起され、人道に対する罪を犯したという加害者意識が中心となる。そのためにユダヤ人をはじめとする被害者への謝罪と補償が積極的に行われ、「他者の人権」を否定した過去を克服して「普遍的人権」を擁護する民主主義国家という自己了解が戦後ドイツでは主流となる。ドイツにおける過去の反省が肯定的に評価されるのが一般的である。

 しかしながら、「加害者意識」が強調されると、犯された行為の犯罪性への反動として「正義」の観念が絶対化され、「正義」が「平和」よりも優先され、「正戦論」が結果する可能性がある。事柄はそれほど単純ではないが、湾岸戦争から今回の反テロ戦争に至るドイツの対応の変化を振り返るとそのような疑念がわいてくる。「過去の反省」と「平和主義」との問題についてのこの時期の代表的見解としてハーバーマスの議論を後に検討するが、八六年以降のいわゆる「歴史家論争」において、ナチス犯罪を相対化しようとする修正主義に対して厳しい批判を行ったハーバーマスが、九〇年代には武力行使を肯定する発言をしたことの意味を考えたい。ユダヤ民族の虐殺やその他の戦争犯罪を犯し、人間性を否定したナチス国家、このドイツの過去を深く反省し続けることで、普遍的人権を擁護する憲法愛国主義にもとづく民主的国家を作り上げるという決意は、非暴力主義や平和主義から袂を分かつことになるのだろうか。「民族浄化」という重大な人権侵害に対しては軍事力の使用も必要であるという論理が、正義の戦争は正当化されるという「正戦論」につながるのではないかと危惧される。

 日本における被害者意識の一般化を肯定するわけではないが、加害者意識が時に「正戦論」につながる場合、被害者意識を再評価する必要があるのではないか。確かに九〇年代の日本は 「従軍慰安婦」問題、歴史教科書問題、強制労働問題などについてアジア諸国から厳しい批判を受けてきた。その際、日本の侵略戦争によって引き起こされた被害に対して戦後日本が十分な反省も補償も行ってこなかったこと、つまり加害者意識の希薄さが批判されてきた。多くの日本人は、被害者への謝罪や補償を十分に行わず、戦争における非人道的行為に対する罪を率直に認めない日本政府の対応のまずさに腹立たしさを感じているのではないだろうか。しかしながら、日本人が抱いてきた被害者意識と平和への願いを欺瞞として放棄すべきではないだろう。平和主義や非暴力主義は被害者意識によって支えられていると思われる。

 

 以下では、まず日本の平和主義における「被害者意識」再評価の可能性について考え、ついで九年代以降のドイツでの平和論の動向を瞥見し、最後に今回の反テロ戦争をめぐって行われたドイツでの平和主義論争を見てみたい。そしてこの論争の中で、あくまで非暴力平和主義を貫こうとする議論と日本の「被害者意識の平和主義」とを接続しうるものがないかを探るのが本稿の狙いである。

 

                   第1節 戦後日本の平和主義

 言うまでもないことだが、日本の平和主義そのものがもはなはだ危機的な状況にある。それは今回のアメリカの反テロ戦争に対して日本政府が見せた支援措置のことだけではない。一九九九年に日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案や国旗・国歌法が国民の目立った抵抗運動もないままに成立してしまったことを考えると、憲法の平和主義が国民のなかで空洞化しているのではないかと危惧される。ダグラス・ラミスはこのとき「憲法九条は死んだのか」と問うている(ラミス2000)。六〇年安保闘争の時代に高まった反政府平和運動は、一部「べ平連」運動などへ受け継がれていったとはいえ、全体として挫折感を残しただけで、人々は私的生活主義へと逃避していったということになるのだろうか。その後の池田内閣は「所得倍増計画」を打ち出し、国民は高度経済成長の中で豊かさを求めて、没政治化してゆくことになる。七〇年代後半に日高六郎は、私的な豊かさを求める経済主義が優勢となり人々が没政治化してゆくことへの危機感を背景として、戦後日本の平和主義が戦中の「滅」に対する反動としての「滅」でしかなかったのではないかと問うている。日高によれば、天皇制と大東亜共栄圏という大儀のために「欲しがりません、勝つまでは」の耐乏生活と多くの犠牲を強いられてきた国民にとって、敗戦が国民にもたらしたのは、「戦争はコリゴリだ」という平和主義と、大儀や正義というものへの不信感であり、それはつまり「滅公奉私」という闇市の倫理だった。高度成長時代の経済主義は、国民の「滅公奉私」という意識を増幅し、戦後間もない時期に(とな)えられた〈個の確立〉や〈労働者の権利〉という主張を〈私生活優先〉の政治的無関心へと導いたのである。結局、戦後日本では、平和憲法の背後にあった国民の意識が「滅公奉私」という闇市の倫理を超えることはなかったということになる(日高1980 「「滅公奉私」の時代」)。日高はもちろん「それではいけない」と主張しているのだが、平和憲法を支えことができる「国民」や「民衆」など成立しなかったという批判が暗示されている。藤原帰一はもっとはっきりと、戦後日本の平和主義は欺瞞であったと言ってのける。日本の平和主義は東京大空襲や広島・長崎に象徴されるような被害経験に基づく「平和主義」であり、憲法の戦争放棄についても、それがアメリカによる「日本の非武装化」の戦略に過ぎなかった事実を理想化して自己満足しているに過ぎない。これでは国際社会に通用する「平和主義」とはなり得ないというのである(藤原2001: 5)

 

1)      「被害者意識の平和主義」批判の問題点

 このように戦後日本の平和主義を「滅公奉私」の平和主義であり、公共的な正義の感覚を欠いた平和主義だと批判するとき、そこから引き出される規範的主張は《正義を優先する平和》という要請であろう正義にかなった平和のみ価値があり、アジアの被害者を放置してきた日本の平和は欺瞞に満ちている〉ということになる。この帰結そのものはなるほどと思わせる。正義の優位という要請からは、〈正義にっていない場合には、武力行使も正当化される〉という帰結も引き出される。その場合には、不正な戦争をどれほど非難したとしても、それとは別に「正しい戦争」が存在することを原理的に承認することになろう。

 例えば藤原帰一は、冷戦の終結によって国際平和の条件が「兵力の均衡」から「戦争の違法化と民主的平和」の方向へと変わりつつあると述べている。

 「軍の警察化と各国の民主化の結果、目指すべき国際関係の観念も変わった。かつては武力の均衡が戦争を阻んだとすれば、冷戦後の世界各国は、民主的価値と人権を共有し、その共有する理念のもとで平和を支えるのであった。そして、そのような民主的価値や人権規範を共有しない国家は、少なくとも潜在的には、国際秩序を乱し、悪くすれば戦争さえ始めかねない潜在的脅威と見なされるようになった。」(藤原2001:10)

 あらかじめ断っておけば、この文章は九月一一日テロ事件以前に執筆されている。その本来の意図は、日本も民主的価値と人権を共有していることを証明するような「過去の反省」を行い、加害行為への反省に基づいた平和主義を作り上げ、被害者意識の平和主義から脱却しなければならない、というこである。一般論としては非常に正しい議論ではあるが、「国際社会による民主的価値や人権規範の共有」という観念は非常に危うい観念である。ブッシュ政権が国際テロに対する戦いを当初「無限の正義[]の戦争呼んで、アフガニスタンへの軍事攻撃を正当化したように、「国際社会が共有する正義」という観念は軍事行動を正当化する論理につながる可能性がある。資本主義と共産主義という互いに両立不可能なイデオロギーに基づく二つの超大国の軍事的対立の中では、軍事力は特定陣営の「特殊な正義」によって正当化されているに過ぎない。軍事力は相対的な正当性をもつに過ぎなかった。普遍的正義を背景にした軍事力が存在しない限り、軍事力一般に対して素朴な平和主義を唱えることが可能であった。ところが、冷戦後世界ではイデオロギー対立が消滅し、民主主義と人権が普遍的価値として共有されているとするならば、それを共有している欧米先進国とその他の民主的国家は一つの国家連合を作り、共通の価値を守るために武力を用いても、それはもはや戦争の手段ではなく、「警察執行権力」に過ぎない。国連が一つの世界政府となっていないとしても、民主的諸国家の連合は正しい価値観をもっているため、共通の正義が支配する世界の中で起こる武力衝突は、正義による不正義(悪)の阻止であり、不法を取り締まる行為となる。もはや戦争は存在せず、軍事力を使用する国際警察が存在するだけである。こういうことであろうか。

 これはアメリカが独占する正義に、ヨーロッパが追随する先進国連盟が世界を管理し、彼らが行う武力行使は警察権の執行であり、彼らに対する抵抗はテロ行為である、という反テロ戦争を遂行するアメリカの世界観と区別できない。

 

2)      「被害者意識の平和主義」の可能性

 ところで、日高六郎が描く戦後の平和運動の回顧には別の側面が示唆されている。『私の平和論』の「八月一五日以降」という章において、日高は一九四五年一一月四日の『東京新聞』に掲載されたある女性の投書に言及している。その女性は終戦後間もないとき、駅のホームでパラオ島から帰還した兵士に出会う。栄養失調で憔悴し、痩せこけたこの復員兵士の姿に周りの男女は声を上げて泣き出したという。その復員兵士が、近くにいた小さな子供に乾パンを差し出したとき、その子の母親は「勿体なくて戴けません」と繰り返し泣いていたという。兵士と銃後の市民が、それぞれの経験した悲惨を想像力によって共有している場面である。この場面に遭遇したその「ある女性」は、「此の様に兵隊さんの肉を削った戦争の責任者は之れだけでも重罰の価値がありませう」と戦争指導者への怒りを表すと同時に、当時すでに現れていたデモクラシー運動や婦人選挙権運動が、この兵士のような個別者としての戦争「被害者」を見捨ててしまっていることにも(いきどお)っている。この婦人の投書を最初に紹介した中野重治(「冬に入る」『展望』創刊号、一九四六年一月号)は、個別的体験にこだわり組織的な民主化運動に批判的な婦人の発言を、日本における民主主義の遅れの証左とみなしていた。つまり、個別的な被害体験の共有を超える民主主義が成熟しておらず、そのような日本的な感情が自由と民主主義の政治的成長を妨げているという指摘である。

 これに対して日高は、人々の「被害者感情」を積極的に位置づけようとしている。確かに被害者意識だけでは不十分であり、広範な理論的洞察と加害者としての責任意識が必要だと指摘されるが、「しかしふりかえってみると、それ〔被害者感情〕が戦後すぐの民衆感情の主流であった。そしてそれはまともな感情であり、今なお日本の民衆の平和志向を支えていると、私は思う。またそれは、一国の中の平和だけを求める、閉鎖的な感情に必ずとどまるとは言えないと思う」(日高1995:98)。被害者意識、あるいは「戦争はコリゴリだ」という個人的な体験の意識が戦後日本の平和主義を支えてきたのであり、それだけで複雑な現実の政治課題を解決できなっかたとしても、この被害者意識は日本の平和主義の原点でありつづけると日高は考えている。そのために日高は二つのことを指摘している。

 第一に、日本国憲法がアメリカによる日本政府への押し付けであったとしても、戦争に対する嫌悪と拒否の感情が広っていたからこそ、民衆は平和条項をもつ憲法を支持したのである。自分たちの手で作り上げた憲法に対するように、民衆は憲法を「熱狂して歓迎した」わけではないが、むしろだからこそ平和憲法を支えたのは被害感情であり、戦争嫌悪の感情だったと言えるのである。米ソの対立が激しくなる朝鮮戦争勃発の五〇年から六〇年にかけてさまざまな平和運動が生まれてくるが、一九五四年の第五福竜丸事件に端を発する原水爆反対運動は東京の母親たちが始めた反対署名運動から始まっている。五六年に政府は憲法調査会を設置したが、憲法改正が争点となった五八年の総選挙では改憲反対の野党が改憲阻止のために必要な国会の三分の一以上の議席を占める。そしてこの運動は六〇年安保闘争における国民的高揚へとつながっていった。被害感情をもとにして平和憲法を受動的に受け入れた日本の民衆は、政治的実践を通して平和主義を能動的に確立してきた。

 日高が指摘する第二の点は、平和運動が政治運動として組織化され大規模になる過程で生まれてきた混乱のなかで、運動に参加する個々人の被害感情や戦争嫌悪感情が抑えられ、組織のイデオロギーが優先されたという点である。一九六一年にソ連が核実験を再開したとき、原水爆禁止日本協議会(原水協)の一部が、「ソ連のおこなう核実験と、アメリカなど侵略的な帝国主義がおこなう核実験とを同一視すべきではない」と主張し、イデオロギー対立が反核兵器という共通感情をゆがめ、平和運動そのものを停滞させることになる。六五年には社会党・総評系の人々は独立して「原水爆禁止日本会議(原水禁)」を結成することになる。

 日高自身が明確に言い切っているわけではないが、平和運動を阻害するものは「正義」というイデオロギーであり、「正義」が出てくるところでは「正しい戦争」「正しい核兵器」が正当化され、それによって平和運動が分裂や空転に陥ることになるのではないだろうか。「正義」の観念が「平和主義」を危機に導くとき、平和主義が頼ることができるのは「戦争はイヤだ(った)」という一種の被害感情であろう。一九九五年五月ヨーロッパの旧戦勝五カ国では五〇回目の戦勝記念式典が盛大に催されていた。そのときパリにいた日高は、ドイツ・ナチズムイタリア・ファシズムそして日本・軍国主義と戦って勝利をおさめた連合国軍の兵士の勇気と献身を称える式典や報道に「戦争愛国主義」を読み取り、危機を感じている(同:121)。ナチズムや軍国主義という悪に対する「正義の戦い」として戦争が記憶されるところでは、第三者から見れば侵略である戦争がつづいてゆく。英仏によるスエズ侵攻、フランスのベトナム戦争とアルジェリア戦争、アメリカの朝鮮戦争とベトナム戦争そして湾岸戦争、イギリスのフォークランド戦争、ソヴィエトのアフガン侵攻など。

 平和主義が「正義の戦争」をも否定するものであり続けるためには、何らかの形で被害感情を活性化させ続けてゆかなくてはならないだろう。

 

                   第2節 九十年代以降のドイツの「正戦論」

1)      (1)ハーバーマスの戦争容認論

 戦後ドイツにおける平和主義はどのような状況にあるのだろうか。その点で気になるのが、戦後ドイツの進歩的知識人の代表であるユルゲン・ハーバーマスの九年代以降の態度である。彼が九一年の湾岸戦争以来、地域紛争を解決するための武力行使を肯定するような発言をしていることは、彼の社会哲学に関心を持つ日本人にとって一つの当惑であった。

 彼はかつて、一九八六年七月一一日の『ツァイト』紙上に「損害を片づける一つのやり方−ドイツ現代史記述における弁明的傾向」と題する論文を寄稿し、有名なドイツ「歴史家論争」の火付け役となった。ハーバーマスは、ドイツの著名な現代史家であるEノルテやAヒルグルーバーなどをナチ犯罪を歴史的に相対化・無害化することでドイツ民族の歴史的アイデンティティーを回復させようとする反民主的な歴史家として批判した。論争では、ナチス犯罪の「唯一無比性Siguralität」をめぐってさまざまな議論が展開された。ハーバーマスの主張の核心は、ドイツ人によって行われたナチス犯罪という過去への道徳的な反省こそが戦後ドイツの民主主義を形成したのであり、「過去の反省」戦後民主主義の不可欠の構成要素であり、したがってナチス犯罪の「唯一性」とは歴史上の一回性ではなく、〈われわれ〉戦後ドイツ人にとっての「不可欠性」意味する、ということであった。[]

 第二次世界大戦への道徳的な反省をこれほど重視するハーバーマスが、なぜイラクに対する軍事行動を肯定するのか。彼はなぜ非暴力主義や平和主義にとどまらないのか。もちろん、イラクのサダム・フセインがクエートに武力侵攻し占領したことを国際社会が非難し、制裁を加えるべきだという一般論の妥当性をここで疑問視しているわけではない。問題はむしろ、「過去の反省」と武力制裁容認論とがハーバーマスにおいていかに結びついているのかという点である。

 

1-1              湾岸戦争への態度

 ハーバーマスは九一年の二月、『ツァイト』のジャーナリストであるミハエル・ハラーとの書面インタヴューで湾岸戦争について論じ、アメリカを中心とした連合軍(多国籍軍)によるイラクに対する軍事行動を肯定した。「国際紛争を解決する手段」として「武力の行使」や戦争を肯定しているわけである。

 ただしそれは「正義」の所有者であるアメリカの軍事行動は正当だという単純な議論ではない。ハーバーマスは、連合軍によるイラクへの軍事制裁が国連の権威によって自己正当化せざるを得なかった点を評価して、そこにカントが希望した「永久平和」への一歩があると考えている。カント自身があらゆる権力を独占する「世界政府」によって世界平和を実現しようと要請したわけではなく、むしろ「自由な国家群の連邦」が合意によって正義を確定し、それに基づく平和的秩序を維持するような世界を構想していた。これは一種の力の均衡による平和であるが、カントはその際、「自由な諸国家」が「世界連邦」の構成員であることによって平和への傾向が増大すると考えていた。経済的な発展と対外貿易の増大によって繁栄する自由な国家は、繁栄を求める国民の意志が国政に反映される共和制であり、それゆえに、軍事的な対外行動をとらなくなる。そして、このような自由な諸国家が共同で運営する連邦においても平和への傾向がますます増大するというものである。平和を共通利益とする世界連邦においては、事実上の暴力独占が成立しており、特定の国家が国益のために紛争を起こした場合、それは特殊な国益と別の特殊な国益との対立としてではなく、特殊な国益と世界連邦の普遍的な利益との対立となる。つまりこの紛争は、特殊な国益をめぐる国家間の「戦争」ではなく、特殊な国益を求めて特定の国家が行う世界平和秩序への侵犯に対して世界連邦が「警察権の執行eine polizeiliche Aktion(Habermas 1991: 20/20)を行うということになる。世界連邦が独自の連邦軍をもち、それを「世界内政Weltinnenpolitik」における平和秩序維持のための警察権力として使用するのである。国際紛争は、国家間の「戦争」としてではなく、世界連邦の「世界内政」問題として警察活動によって処理されることになる。

 これがカント=ハーバーマス的な「世界平和」構想である。国連がそのような世界連邦となることが期待されている。

 「必要な場合には軍事的な手段によってでも国連決議を遵守させることができるように国連の権威を高めるのが理性的ではないだろうか。国連憲章第七条では、国連の指揮下におかれるべき、その種の軍事行動もすでに想定されている。冷戦が終結した後、我々は国連を拡大し、憲章上は存在している可能性を効果的に活用しうる執行権力を創出すべきだったのである。」( 16/16)

 もちろんハーバーマスは実際に行われた湾岸戦争を国連による正義の戦争だと見なしているわけではない。国連が安保理事会制度によって大国の国益追求に影響されていることは認めざるを得ない。湾岸紛争が中東における欧米先進国の石油権益をめぐる権力政治を背景にもっていることは確かであろうし、また形式面でもこの戦争は「国連の指揮下で実行されたものではなく、参戦国には国連に対して報告の義務さえなかった」(18/17)。現実の湾岸戦争が国連の警察権の行使であったと見なすことはできない。しかし「石油のために血を流すな!」という反戦のスローガンが前提しているように、湾岸戦争のすべてが大国の利益のための戦争であり、国連は全くの口実にすぎないという見方にハーバーマスは異議を唱えている。連合軍の軍事行動を正当化するために国連が「口実」として持ち出されたのだとしても、口実として国連を利用したことによって、諸大国はかえって国連およびその理念に縛られることになる。今度はその理念にしたがって諸大国に対して要求することができるようになる。「公正で平和的な世界市民的な秩序の理念」( 32/30)が口実として使われている「事実」こそ重要である。規範的理念が世界政治の現実の中に事実として組み込まれている点にこそ、理念が実現される可能性、「新たな始まりのチャンス」( 18/18)が見出されるべきである。

 ハーバーマスは、現実に行われた湾岸戦争がさまざまな点で非難されるべきだと考えるが、この戦争に含まれる一つの契機、すなわち国連を「自由な国家群の連邦」へと発展させ、国際紛争の解決を国連軍による「警察権の行使」に委ねる世界秩序へ向かう契機を救い出すべきだというのである。そうすることによって国益のために主権の発動として行われる従来型の「戦争」はなくなるだろう、ということである。

 

 さて、このようなハーバーマスの議論をどのように評価すべきだろうか。基本的な構図は、「公正で平和的な世界市民秩序」を国連が実現するという正しい目的〉が軍事行動という手段を正当化する、というものである。平和システムを確立するという目的のために戦争を正当化するという一種の「正戦論」と言わざるを得ない。しかもその目的の設定そのものが反事実的な仮定であり、全体として説得力に乏しい議論と思われる。

 目的による手段の正当化の論理の別のバリエーションとして、イスラエル国家の安全保障が目的として設定されている。

 「少なくともイスラエルの、アラブ世界に囲まれ、〔ABC兵器など〕最悪の兵器によって威されている恐怖の筋書きを考慮に入れるならば、イラクに対する武力制裁は妥当であった、と私は考える」( 23/22)

 ドイツにおける「過去の反省」は、ユダヤ人の国家であるイスラエルへの負い目として現れやすいが、ハーバーマスもここでそのような「負い目」によって議論の公正さを損なっているのではないだろうか。加害者意識に伴う「負い目」が一種深層心理において「正戦論」に向かわせているのではないかと思われる。コミュニケーション的行為の理論」や「討議倫理」を唱え、対話や議論の重要性を主張するハーバーマスが国連による平和秩序非暴力的空間の確立という目的や理念を堅持することは当然である。しかしこの対話的理性の立場が、この非暴力的空間を成立させるという「目的」のために「手段としての暴力」を認めることは、自己矛盾とは言わないとしても、対話的理性とはまったく別の原理を導入していると言わざるを得ない。

 

1-2            コソボ戦争(ユーゴ空爆)への態度

 湾岸戦争後の国際社会はユーゴ紛争の処理に混乱することになった。一九九一年六月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言し、ユーゴスラヴィア連邦は内戦と分裂をはじめ、九二年四月には紛争はボスニアに拡大した。ボスニアではセルビア人、クロアチア人、イスラム教徒の各派が支配地拡大・奪還を目指し、互いに「民族浄化」作戦を繰り広げるが、国連は有効な平和維持活動を実施できなかった。当時、国連事務総長のブトロス・ガリは「平和執行活動」を提唱し、国連軍が紛争地域で積極的に平和を作り出す方針を打ち出していた。しかし九二年から行われていたソマリア内戦への国連の関与では、国連「平和執行部隊」が紛争の当事者となり、九三年一〇月に国連部隊のアメリカ兵一八名が死亡し、死体が市中を引き回される光景がアメリカのメディアに流され、アメリカ軍が撤退することになる。国連憲章七条にもとづく国連軍の「武力制裁」で平和を確立する国連主導の平和政策は挫折することになる。ユーゴ紛争の解決は、国連軍ではなく、NATO軍とりわけアメリカ軍の主導行われた。特に一九九五年八月三〇日から九月一四日まで行われたNATO軍によるボスニアのセルビア軍への空爆はほとんどフリーハンドで行われることになった。その後のボスニア和平協定もアメリカという唯一の大国のイニシャティブのもとに結ばれたのであり(「デイトン協定」九五年一一月二一日)、国連が公正な国際仲裁機関として機能したとは言いがたい。むしろユーゴ紛争がこれほど混乱し長期化したのも欧米諸国、とりわけ米国の公正さや一貫性に欠ける対応にあったと理解することもできる[]

 ボスニアの次には、コソボ自治州での紛争が表面化してきた。コソボ紛争は、旧ユーゴスラビアのコソボ自治州における増加するアルバニア系住民とセルビア系住民との緊張を背景としてい。より多くの自治権を要求するコソボのアルバニア系住民に対して、一時期は、自治権の拡大が認められたが、一九八九年にセルビア共和国は憲法を修正してコソボの自治権を制限した。これに対抗してアルバニア系住民は一九九〇年に「コソボ共和国」の独立を宣言することになったすでにこの時点からコソボは二重権力構造となり、セルビア治安維持部隊とコソボ解放軍の武力対立が続いていた。一九九九年二月六日から行われた仏ランブイエでの和平交渉も結局頓挫し、同年三月二四日にNATO軍は、国連安全保障理事会の承認をえないまま、ユーゴに対する空爆を開始した。

 ドイツ軍もNATOの一員としてこのユーゴ空爆に参加したのであるが、今回の戦争参加に対するドイツ国内の反応、とりわけいわゆる左派知識人の反応は湾岸戦争の時とは異なっていた。戦争に「端的に」反対する平和主義者が少数派になったことが今回の特徴である。この戦争に参加したドイツ政府が社会民主党と緑の党の連立政権であり、問題が民族浄化といった人権侵害を阻止するためには戦争という手段もやむを得ないという非常に複雑な倫理的問題として理解されていたためである。とりわけ民族抹殺を行った過去を否定することで戦後ドイツのアイデンティティを形成しようとしてきたドイツの左派知識人たちにとって、マスメディアが報道してコソボの民族浄化を座視することは心情的に不可能であった。湾岸戦争当時の「石油のために血を流すな!」といった平和主義のスローガンはもはや聞かれなくなった

 

 このような状況の中、空爆開始後一ヶ月が経過した一九九九年四月末に、ハーバーマスは「野蛮さと人間性法と道徳との限界における戦争」という論文を『ツァイト』に寄稿した(Habermas 1999)。ここでも彼はNATO軍によるユーゴ空爆を是認すると思われる議論を展開している。「と思われる」とあいまいな表現を使ったのは、今回のハーバマスの議論は「国連による平和創設」の理念に賭けながらも、湾岸戦争の時以上に軍事行動への疑念を表明しているからである。

 ハーバーマスは国連による平和創設理念を堅持する彼の立場を「合法的平和主義Rechtspazifismus, legal pacifism」と呼び、次のように説明する。この立場は「主権国家間の自然状態を人権思想によって馴致するという理念Idee einer menschenrechtlichen Domestizierung des Naturzustandes zwischen den Staaten」に依拠しており、「国家主権の限界を超えて世界市民」としての個人の人権を擁護しようとするものである(Habermas 1999:§3)。普遍的人権を規範とする「人権政治」が国家主権を制限することによって、国家間の戦争回避され、平和実現されるというのである。

 「人権政治の諸前提に立つかぎり、今回のこの介入は、武力によるものであっても、国際社会によって(国連の委任がなくとも、暗黙のうちに)権威づけられた平和創設任務であると理解されるべきである。このような西側の解釈にしたがえば、コソボ戦争は国家を主体としてきた古典的な国際法の道程において世界市民社会のコスモポリタン的な法・権利への跳躍を意味しうるのである。」( §6)

つまり「世界市民社会」実現への道程における不可避的な必要悪として今回のユーゴ空爆を承認するというのが「合法的平和主義」の立場である。これはどう好意的に解釈しても、〈平和理念〉実現のために〈戦争=軍事的暴力の行使〉が正当化されるという〈正戦論〉である。正戦論の構造は、正しい目的が悪しき手段を正当化するというものであるが、ハーバーマス自身が空爆という軍事制裁が「悪しき手段」であることを認めている。「悪しき手段」であるために、ドイツ軍も参加したユーゴ空爆に対して「居心地の悪さUnbehagenドイツ人は感じているとされる。その理由を彼はいくつか挙げている。

() 「合法的平和主義」が想定する実効的権力をもった世界市民社会が存在しておらず、国連も世界市民政府と見なすことはできない。

()国連を擬似的世界市民政府と見なす場合でも、今回のユーゴ空爆は、国連の承認なしにNATO軍が行ったものである。

()軍事的制裁が「人道的介入」として正当化される場合でも、とりわけ空爆という手段が平和実現という目的のための有効な手段なのかという疑問が残る。

() 攻撃の程度問題― ユーゴ国営放送局の爆撃に先立って警告すべきであったとか、ガスタンクやビルや道路や橋など経済インフラを破壊することが許されるのか。

()政治的目標の曖昧さ― 迫害され、難民となったアルバニア系住民を救済するという人道的目的を果たそうとする軍事行動がコソボの民主化という政治的目標の実現を不可能としている。大アルバニア・ナショナリズムが抬頭する中で、コソボの分離独立という望ましからぬ方向へ向かいそうである。(§10-12)

()アルバニア系住民に対する「民族浄化」という人権侵害を阻止するために、セルビア系住民に対して空爆を行うことは、新たな人権侵害や民族虐殺ではないのか。(§8)

 このような軍事的暴力という「悪しき手段」には「居心地の悪さ」が伴わざるをえない。世界市民社会が実在しないことを認める以上、「手段」が正しい「警察権の執行」であることはなく、「悪しき手段」であり続ける。そこでハーバーマスの議論は悪しき手段を「必要悪」として容認させようとするもの以上にはならない。彼はそのために二つの議論を出していると思われる。

 

1-3            カール・シュミットという踏み絵

 第一の議論は、シュミット政治学のペシミズムを避け、普遍的人権の理念の側に立ちたいと思うなら、必要悪を認め、居心地の悪さに耐えよ、というものである。そこでハーバーマスはシュミット政治学を次のように整理する

 カール・シュミットの政治学は国家主権の絶対性・自然性を主張する。この国家主権主義の立場からすると、人権の普遍性を主張し、人権のためには国家主権も制限されると主張する人権政治は、国家の自然な自己保存要求を否定するという誤りを犯している。その結果、自然的な自己保存欲求同士の衝突に過ぎない国家間の紛争が、規範的・原理的な対立抗争へと硬直化してしまい、妥協を模索する関係としての政治的関係ではなくなってしまう。つまり、国際紛争が善悪最終決戦(ハルマゲドン)になってしまうこれは、自然的な対立を規範的・倫理的な対立へと転換する「カテゴリーミステイクKategorienfehler」なのである( §16)。国家と国家が争うとき、それはそれぞれの国益のぶつかり合いという自然現象に過ぎず、正義や道徳問題ではない。このような国家間の政治的関係に普遍的な人権を持ち込んで、政治を道徳化すれば、政治は善による悪の殲滅を目指すものとなり、まさに野蛮な暴力行為へと後退してしまう。簡単に言えば、普遍的人権思想は〈政治を道徳化〉することで〈政治を野蛮化〉するこのような政治の野蛮化を回避するためには、国家間の関係に善悪や道徳を持ち込まないことが必要である。そしてそのためには国家の絶対主権(Souveränität)を承認することが大前提となる。

 このようなシュミットの議論を批判克服するためにハーバーマスは「政治の道徳化」を別の仕方で解釈する。

「世界市民的な状態を確立しようという努力が意味するのは、人権侵害を道徳的観点のもとで直接に裁きかつそれを撲滅しようというのではなく、国家の法秩序のなかで犯罪が追求されるように、人権侵害を追求することである。国際関係を徹底的に法制化(Verrechtlichung)することは紛争解決のための確立された手続きがなければ不可能である。まさにこのような手続きの制度化が、人権侵害に対する法律的に抑制された対応を可能にし、道徳が法・権利の差異化を抹消してしまわないようにするのであり、そして[法による]媒介なく「敵」を徹底的に道徳的に差別することを阻止するのである。」(§19)

 政治を直接に道徳化すれば政治の野蛮化へと導くだろうが、政治を法制化によって媒介された形で道徳化すれば、野蛮化の危険性を避けることができる。国際政治の法制化や制度化とはもちろん国連機構の整備のことである。つまり国連の理念が実現されれば、国家主権の制限も問題ない。これがハーバーマスの反論である。

 ところでこのようなシュミット政治学の批判は一体何を意味するのか。政治の道徳化がその野蛮化に導くというシュミットのテーゼに対する批判としてはハーバーマスの議論は説得的である。しかしユーゴ空爆という〈手段〉にまとわり付いた「居心地の悪さ」の問題にシュミット政治学批判を持ち込むことは、〈手段の悪〉の問題を〈目的の善悪〉の問題にすりかえることである。ここでハーバーマスが読者に提示しているのは、ユーゴ空爆を承認しない立場は最終的にはシュミット政治学の国家主権絶対化に行き着、そうなれば国家主権の壁を越えて人権侵害を阻止しようとする「人権政治Menschenrechtspolitik」は全く不可能になるが、それでもあなたはユーゴ空爆に反対しますか?という二者択一の踏み絵である。ドイツ人の間「居心地の悪さ」を緩和する巧みな論理かもしれないが、問題のすり替えである。

 

1-4            「特別の感受性」という道徳性

 「居心地の悪さ」を緩和するための第二の議論は、〈悪いことを自覚しているだけでもマシで、道徳的だ〉というものである。

 ハーバーマスは現実の国際社会では人権政治がジレンマに陥らざるを得ないのだとまず説明する。人権政治の理想が実現されるためには法制化が前提となるが、その法制化が現実の国際社会においては不十分であるため、ジレンマが発生するのは仕方がないのである。国連の合意を得た介入(スレブニッアへの駐留)はセルビア軍の虐殺を阻止できる実力を持たず、NATOの有効な武力介入は国連による正当性をもっていない(§21)。国連が十分な法制化機関になっていないことが「居心地の悪さ」の原因であって、人権政治を支持すること自体は正しということである。この不可避的ジレンマを自覚している点で、アメリカに比べれば、ドイツやヨーロッパ諸国はまだマシである。アメリカは、ベトナム戦争や中南米政策に示されているように、人道主義を盾にして自国の帝国的権力の拡大を図るのを常としているが、ヨーロッパ諸国は少なくとも人権政治がジレンマを伴うことを自覚しており、それに対する「特別の感受性eine besondere Sensibilität(§27)をもっている点では道徳的である。ドイツ人が人権政治というそれ自身道徳的に正しいことを行って、しかも「居心地の悪さ」を感じているのは、ドイツ人の道徳的感受性が優れている証拠ですよ。――このようにしてハーバーマスはドイツ人の「居心地の悪さ」を解消できないまでも、和らげようとしているのである。

 

 このように見てくると、「野蛮と人間性」という彼の論文はユーゴ空爆に参加したことに対するドイツ人の「居心地の悪さ」を解消することが主題であり、ユーゴ空爆の正当性そのものについての判断は微妙に回避していると言えそうである。ボスニア紛争の時から使われた「民族浄化」や「虐殺」といった言葉がコソボ紛争にも適用される時点で、虐殺の責任者であるセルビア軍に対して軍事的制裁を加えること自体は(手続き上の問題はあっても)自明であり、人権政治が人権擁護のために主権国家の壁を打ち砕く手段として軍事的暴力を行使することも当然だと前提されているところがハーバーマス論文の冒頭では、空爆という手段が野蛮であり〈悪〉であることを確認している。空爆はユーゴの一般市民の生命と財産に被害を及ぼすものであり、「全くの戦争」である。「外科的正確さchirurgische Präzision(§1)をもったピンポイント爆撃によって敵の戦闘施設だけを破壊し、市民には被害を及ぼさない人間的な制裁行為などといった湾岸戦争時から広められたイデオロギーをハーバーマスは否定している。戦争ないし武力攻撃がハイテク技術によって「正しい」手段になったわけではなく、「野蛮な」手段であることに変わりはない。このようなハーバーマス自身の論点が、セルビアによるアルバニア系住民に対する「民族浄化」という強迫観念によってかき消されてしまっているのではないか。ナチスによる民族虐殺の記憶は、むしろ「民族浄化」という言葉に対する特別の感受性を掻き立て、戦争という野蛮な手段をも人権政治の不可避的ジレンマとして甘受させることになっているようである。「NATOが〔ユーゴ空爆への〕権限を自分で自分に与えるといったことは習慣化されてはならない」というこの論文の最後の言葉は、NATOの越権行為に対する批判であると同時に、巧妙な形で、軍事的制裁を行う人権政治の肯定となってる。

 

1-5            ルッツによるユーゴ空爆批判

 非暴力平和主義[]の立場からのユーゴ空爆反対論を一つ紹介しておきたい。ハーバーマスのように〈普遍的人権〉や〈世界内政〉や〈国連主義〉といった理念を堅持するために必ずしも軍事的暴力の行使という〈手段〉を正当化する必要はなく、〈手段の悪〉を批判し続ける議論も可能である。目的による手段の正当化という正戦論の論理から逃れる例としてルッツの議論を見てみたい。

 「ハンブルグ平和研究所」の所長であるディーター・ルッツ(Dieter S. Lutz)一九九九年七月に『Die Woche』誌上に「エップラー氏への手紙」という文章を載せている。これは社会民主党(SPDの有力政治家エドワルト・エップラーが一九九九年六月一〇日付けの『ツァイト』に公表されたエップラーとバールの公開書簡の中で、今回の戦争の責任はただミロシェヴィッチのみに帰され、コソボ・アルバニア人に対して行われた「民族浄化」を阻止するために行われた空爆は正当であると主張したことへの反論となっている。(以下についてはLutz 1999を参照)。

 ルッツの主要な論点は、「民族浄化」という言葉が冷静な事実認識と判断を不可能にし、存在した平和の可能性を無視して、軍事力の行使に向かわせたというものである。彼は空爆開始以前の状況を説明する。

 まず、一九九八年一〇月一三日にホルブルック米特使とミロシェビッチ大統領との間で停戦合意が成立してから二週間後の一〇月二七日にNATO軍総司令官ソラナが行った発表によると、停戦協定はおおむね守られており、散発的な衝突はあるが、政治的交渉の前提となる地域の安全は確保されてい。ソラナはむしろコソボ・アルバニア人武装組織に対して停戦協定を守ることを要求している。またコソボに派遣されたドイツ旅団長ハインツ・ロカイ(Brigadegeneral Heinz Loquai)が三月にOSZE(欧州安保協力機構)に対して語ったところでは、OSZEによる停戦検証作業はユーゴ軍の協力によって順調に進んでおり、ユーゴ軍は協定どおりに軍隊を縮小していると報告されている。問題はむしろコソボ・アルバニア人のUCK(コソボ解放)の方にあるされている。「協定に制約されないと感じているUCKは、ユーゴスラビア軍が撤退したところに侵攻している」。その結果「UCKが針でつつけば、ユーゴ保安軍が激しい反撃をする」という事態が発生していた。また一九九九年三月一九日にドイツ外務省が提出した状況報告書でも、停戦協定違反に関しては両軍ともに責任があるとされている。「停戦は両陣営によってもはや守られていない。セルビア軍はあらゆる機会に、コソボ解放軍の小規模な攻撃に対して大規模な反撃を行い、コソボ解放軍の陣地を攻撃し、可能な限りそれを掃討した」。政府軍と反政府ゲリラとの通常の攻防が続いていたのである。ユーゴ軍はコソボ解放軍の拠点となりうる村々を破壊したが、それはコソボ解放軍がそこに戻ってきて再び陣地を築くことを不可能にするためであった、と報告書は述べている。しかもその際ユーゴ軍は前年とは異なり、あらかじめ村々に退去命令を出していた。「ところがコソボ停戦監視団によると、市民の退去は各地のコソボ解放軍司令官によって阻止されたのである。難民高等弁務官事務所(UNHCR)が目撃したところでは、ユーゴ軍は、前年のやり方とは反対に、村々を完全には破壊せず作戦終了後は速やかに撤退した。ユーゴ軍が撤退した後、たいてい住民は戻ってきた」。しかも被害を受けていたのはセルビア人の一般市民も同様であった。「コソボに居住するすべての住民グループが等しく避難や追放や破壊にさらされている。かつてセルビア人が住んでいた九〇ほどの村がこの間に放棄された。かつての一万四千人のセルビア系クロアチア人のうちコソボには今や七千人しか住んでいない」と外務省の報告書は述べている。アルバニア系住民だけでなく、セルビア系住民も戦争の被害者として難民となっていたのである。しかも援助団体が住民援助物資供給することを禁止していのは、ユーゴ軍だけではなく、コソボ解放軍も同様であった

 このような状況の中で一般市民は甚大な被害を受け「あらゆる種類の残虐行為や犯罪が付随した」のではあるが、それでもこの状況を「民族虐殺、アウシュヴィッツ、強制収容所、民族浄化、組織的追放」と呼ぶことはできない。ルッツはこれらの報告を「一種の内乱の状況報告Lagebeschreibung eines Bürgerkrieges」であると形容している。むしろ状況を「民族浄化」といったセンセーショナルな言葉を用いて単純化し、悪の権化であるミロシェヴィッチとセルビア軍とそれに対する正義を体現したコソボ解放軍といった図式によってコソボ紛争を捉えたことが状況を悪化させ、平和のチャンスを逸した原因である。こうルッツは考える。

 彼は再びソラナの報告を引いて、平和的解決が不可能となった理由を挙げている。

 「その理由は、ほとんどのNATO加盟国が一面的に反セルビアで親コソボ・アルバニアの姿勢をとったからである。そのためコソボ解放軍を勢いづかせ、他方、節度を守っているセルビア人にも、NATOはどうせアルバニア人の味方だという印象を強めてしまったのである。また、ヨーロッパ諸国はアメリカに対してあまりにも従順であり、時間が切迫しているという虚構を受け入れてしまい、政治的交渉が次第に軍事問題化されていくことに抵抗しなかったからである。」

 そしてドイツがアメリカの軍事的問題解決政策に対抗力を持ちえなかったのは、この紛争の性質を単純化し、善悪の対立に還元してしまい、「民族浄化」という重大な不正を正すためには「戦争も正当化される」といった論理に短絡してしまった点である。

 

1-6            国連の集団的自衛権のみを認める平和主義

 しかしルッツ自身の平和主義は完全な非暴力主義ではない。一種の国連主義である。彼は「ドイツ連邦共和国基本法(憲法)」の平和主義を、四八年から四九年にかけての憲法制定会議(議員評議会)におけるカルロ・シュミットの発言を引用しつつ強調する。

 「われわれはわれわれの考えを表明すべきである。すなわち、諸国民が秩序に従って共生しているところでは、王の最後の手段(ultima ratio regum)と呼ばれた主権の中の主権つまり戦争をする権利とみなされていたものが存在する余地など端的に存在しない。暴力が行使されねばならないときでも、その暴力は国家主権の行為としてではなく、全世界に平和が維持され、平和を害する侵略を不可能にすることに配慮するあらゆる諸国民の集団的自衛行為として行われるべきである。〔中略〕この世界でかつて侵略戦争をするために軍備を増強すると主張したものがいるのだろうか?誰も、自衛戦争に備えるために軍備を増強するとしか言わなかったのである。」

 自衛戦争と侵略戦争との区別ができない以上、自衛戦争は平和を望む諸国家の集団的自衛行為としてのみ許されるべきである。ドイツ基本法(憲法)第二四条にある「平和維持のために主権を国際機関に委譲」するという規定を強調し、自衛権としての戦争を遂行する個別国家権利を否定すべきだ、とルッツは主張する。

 「平和を欲するものは、国連による暴力の独占を強化すべきであって、空洞化させてはならない。民族虐殺を阻止しようとするものは、適切な時期に予防的措置を講ぜねばならず、あるいはもし強制的措置が必要と思われるときには、国連がその強制力を獲得するために考えうるあらゆることを行うべきである。そうしなければ、政治的な恣意に道を空けることになり、場合によっては犯罪的な恣意に道を空けることになる。再度繰り返すが、攻撃と自衛とは勝者が決めることである。コボにおいて国連の委任のない戦争をしたことでNATOはひとつの先例を作ってしまった。明日はロシアがバルカン半島で、そして明後日は中国が東南アジアかどこかで同じことを要求するかもしれない。しかしそうなれば全世界が再び戦火に燃える日も遠くはない。」

 ルッツの平和主義の特徴は、国家に個別的自衛権を認めず、国際紛争を解決する手段としての武力行使は集団的自衛権としてのみ認め、しかも集団的自衛権の主体を国連に限定するというものである。戦争を行う権利としての主権を国家に対して否認ないしは制限することが世界平和への道だということである[]

 

 ルッツもハーバーマスもある意味では「国連主義」の立場に立ち、国連組織が実効的な平和維持機関となり、国家主権が制限され、軍事行動を起こす権利が国連に集中されることを目指している。しかしハーバーマスは「国連主義」の理想を擁護するためにもユーゴ空爆を容認すべきだと述べ、反対にルッツは「国連主義」の理想に忠実であれば、NATOあるいはアメリカの国家戦略に左右されたユーゴ空爆を非難すべきであると主張する。「民族浄化」という呪文に惑わされることなく、紛争の平和的な解決の可能性をつぶしてきた大国のエゴイズムを一つ一つ批判しようとするルッツの議論の方が「国際関係の法制化」への貢献は高いと思われる。「民族浄化」や「人道的介入」という言葉が、大国に都合のいい場合だけ「人権の棍棒Keule der Menschenrechte(Bahr 1999) として振り回されることこそ平和を害すると言えよう。

 

2)      (2)ドイツにおける平和主義の動揺

 「世界内政」の確立を目指すという名分のもとに、「民族浄化」や「人道的介入」という言葉の魔力にひきられて、大国による軍事制裁を容認する議論が次第にドイツ国内でも優勢になってきているように思われる。ハーバーマスの留保付きの戦争容認論もこの趨勢に呼応している。そして「9・11テロ」後にはますますこの傾向が強まり、ドイツの平和主義はかなり動揺しているように思われる。

 ドイツの平和主義は、冷戦時代に核戦争の脅威が高まった八〇年代初めに盛んになった。一九七九年一二月、ソ連の核ミサイルSS20配備計画に対抗して、NATOが打ち出した西ドイツへの米国製パーシング・ミサイル配備計画(いわゆる「NATOの二重決定」)に反対して盛り上がったのが八〇年代初めのドイツの反核平和運動であり、この運動の中で非暴力主義を掲げる「緑の党」も重要な役割を果たした。九一年の湾岸戦争のときもドイツ国内では「石油のために血を流すな!」と叫ぶ反戦運動は高まっていた。しかし旧ユーゴ紛争における「民族浄化」報道や、人権侵害を阻止するための「人道的介入」の議論が出てくるころから様子が変化してきた。そして九九年のユーゴ空爆にNATO軍の一員としてドイツ軍が参加したことは、ドイツの平和運動を決定的に変化させるものであった。

 第一に、ユーゴ空爆にドイツ軍を参加させたのが、九八年九月の総選挙の結果成立した社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権(赤緑連立政権、シュレーダー政権)だったことが挙げられる。空爆参加の方針は前コール(CDU)政権の外交政策を引き継ぐものであったが、特に非暴力主義を唱えてきた緑の党が軍事制裁を党として承認したことの平和運動に対する意味は大きかった。新政権が米国の圧力に屈したということにはとどまらない。

 第二に、「人権政治Menschenrechtspolitik」論の高まりが指摘できる。「民族浄化」という重大な人権侵害に対しては軍事行動を採ることも許されるという議論が受け入れられるようになる。人権と民主主義を守るためには暴力も排除しないという平和主義である。これは「合法的平和主義」と呼ばれ、従来の非暴力主義を堅持する平和主義は「心情的平和主義Gesinnungpazifismus」と呼ばれることになる。ドイツの赤緑連立政権の国防相R・シャーピング(SPD)や外務相J・フィッシャー(緑の党)は「合法的平和主義」の立場からユーゴ空爆へのドイツ軍の参加をすすめた。かつては保守主義者がドイツもナチスの過去を清算して軍隊の域外派兵を行いうる「普通の国」になるべきだと主張していた時には、批判的知識人は概ね一致して「平和主義」の立場をとることができたが、今回のように「合法的平和主義」と「心情的平和主義」との対立が前面に出ている場合、知識人の態度表明も混迷せざるを得ない。

 二〇〇一年一一月八日にシュレーダー首相はドイツ軍の海外派遣を国会に諮った。テロに対して文明世界全体をまもるために「アメリカ合州国に対して無制限の連帯」を行うというものであった。一応承認されたものの、ドイツ軍の海外派遣に対しては少なからぬ国会議員が疑義を呈していた。またこの週に行われたアンケートでは四三%(旧東ドイツでは三分の二以上)のドイツ人がアメリカへの無制限の連帯には反対であった。現在野党の位置にあるCDU(キリスト教民主同盟)もドイツ軍の海外派遣には疑念を呈していたが、それは現在の装備でアフガニスタンへドイツ人兵士を派遣して、兵士たちの安全を確保できるかといった、明らかに「ためにする反対」であった。かつて反戦平和をスローガンとしていた社会民主党と緑の党にとって、今回の派兵は自らの平和主義を根本的に問い直させるものであり、場合によっては解体の危機を招くものである。緑の党の議員アンティエ・フォルマーは連立政府への(つまりシュレーダー首相とフィッシャー外相への)不信任を仄めかしていた。

 

2-1              緑の党の対応

 国会の「緑の党」会派代表レッツォ・シュラオフ(Grünen-Fraktionschef Rezzo Schlauch)は、雑誌『シュピーゲル』のインタビューに対して、緑の党がドイツの軍事貢献に賛成の立場とったことを次のように説明している。――緑の党は、八〇年代にパーシング・ミサイルのドイツへの配備に反対し、ガンジーの平和主義・非暴力主義に基づいて活動してきた。しかしビン・ラディンやタリバンのテロリズムは平和主義そのものを否定しているのであり、それらに対して武力をもって戦うことは正当化される。アフガニスタンに民主的政府をつくるにはタリバン政権を武力によって崩壊させるしかない場合には、武力行使は正当化される。――このような論理はほとんど、正義の戦争が存在するという「正戦論」であり、これを特殊な平和主義と呼びうるとしても、決して非暴力主義とは言えない。シュラオフの発言の中で興味深いことは、このような(おそらく苦渋の)選択をせざるを得ない根拠として挙げられるのが「ドイツの過去」であり「ドイツの特殊な道」についての議論である。シュラオフ自身は次のように語っている。

 「〔ドイツ軍をアフガニスタンに派兵することに〕われわれが賛成しなければ、どんなことが起こるのだろう?もし賛成しなければ、われわれは国際社会(Staatengemeinschaft)から切り離され、再びドイツの特殊な道を歩むことになるだろう。この道こそ歴史上ドイツを常に孤立させ、無分別にし、破局に導いたのである。」(Rezzo Schlauch, Der Spiegel 2001.11.12, S.26)

 「過去の克服」の議論ドイツにおいては「戦争の正当化」に結びつく一例である。今回のアフガニスタン攻撃問題は、一九九八年にSPDとの連立政権に参加し、九九年のコソボ戦争を肯定してきた緑の党の内部にくすぶっていた平和主義者の不満を噴出させるきっかけとなるだろう。「ノー・モア・アウシュヴィッツ」と「ノー・モア戦争」とが同義だと信じてきた緑の党の人間に対して、コソボ戦争の時にフィッシャー外相は人権侵害や民族虐殺(Völkermord)に対抗するためという理由で、軍事介入を納得させようとした。戦争に反対するよりもアウシュヴィッツ=民族虐殺に反対することが重要だという議論をいったん受け入れさせた後、今回のアフガニスタン攻撃に際してフィッシャー外相はただ「秩序、自衛戦争、同盟国への忠誠Bündnistreue」を持ち出すだけである (Der Spiegel 2001.11.12,S.29)

 緑の党内部における正戦論者と平和主義者との軋轢は、ドイツの軍事貢献法案に賛成する党幹事会の決議文書と同時にそれに反対する有志議員の表明文も公表されるという形で現れた。

 一一月一二日に行われた党幹事会Parteiratの決議文書は次のような論旨である (Grünen Parteirat Beschluss 2001.11.12)

 緑の党は、平和主義や非暴力主義を標榜する政党として、武力によるテロ撲滅を拒否することそして暴力の悪循環をもたらす冒険主義へと向かっているアメリカへの無制限の忠誠を拒否することを求められている。しかし他方では、国際テロに対抗するためには軍事力の使用も必要だとする意見も党内に存在する。さらに、将来のアフガニスタンの平和的復興に緑の党が、自らの理念を現実化する可能性を確保し、積極的に参加してゆくためには、軍隊を派遣するという政府の要求に対して政治的妥協(政治的解決)を見出さねばならない、という意見存在している。

 要するに、非暴力主義の理念と現実政治への影響力の確保というジレンマに緑の党が直面していると自覚した上で、このジレンマに対する回答は、現実のジレンマを引き受けるしかないというものである。「私たちはこの身を引き裂かれる状態(Spagat)に耐えなければならない。このことは正しい。なぜなら、矛盾をうわべだけで簡単に解決してしまうことは現実にはいかなる解決でもないからである。私たちはアメリカに対して無条件の連帯ではなく、批判的な連帯を行う」。つまり、現実の矛盾を自覚しつつ、理想を実現するためには汚れた現実に手を染めなければいけないという苦しさに耐えるべきである。そのような矛盾の自覚が、緑の党の道徳性をかろうじて保存する、という論理である。ユーゴ空爆に際してハーバーマスが提示した「居心地の悪さ」克服の論理と全く同一である。

 アメリカの軍事行動に関する批判的な視点(クラスター爆弾使用の問題や難民問題など)もあるが、結局は、現に軍事行動が起こっている現実がある限り、緑の党も参加することによってできるだけ現実を「人間的なもの」にする努力を払うべきだ、ということである。「このような暫定的な総括の結果われわれが至りついた結論は、アメリカが行っている軍事行動批判をするだけではなく、変化をもたらすためには大きな政治的影響力をもつことが必要だということである」。つまり、アメリカに対するけん制の意味でも、ドイツは現実から逃避してはいけない[]、ということである

 一見、非常に深い自己反省を伴った決断であるように思われる。ただし気になる点は、アメリカによるアフガニスタンへの武力報復を「自衛権」の行使とみなしたり、また国際テロリズムの危険性を強調して、それらに対処するには、対話や予防も必要ではあるが、「抑止や暴力Repression und Gewalt」が不可欠であると認めている点である。

 このような緑の党の態度に著名な平和学者ヨハン・ガルトゥンクはあるインタヴューで興味深いコメントを与えている。彼は「緑の党に失望したか?」という問いに対して、緑の党はもともと二つの勢力から成り立っていると言い、次のように答えている。

 「私はそれ以外のことを期待していなかったので、失望はしていません。私はペトラ・ケリーと親交を結んでいました。彼女は、緑の党には二大派閥が存在するが、それは現実派と原理派(die Realos und die Fundis)ではなく、平和主義者と国民主義者(ナショナリスト)だと、繰り返し述べていました。ヨシュカ・フィシャーはナショナリストです。だから彼はドイツ人に最も好まれる政治家であり、シュレーダー首相よりも人気があります。彼はEUでの発言力や、のみならず世界の舞台でも活動しようとしていますが、それによって『われわれも再び一人前だWir-sind-wieder-wer』というドイツ人の感情を満足させているのです。」(Galtung 2001) 

 ちなみにガルトゥンクは今回のテロ攻撃と報復攻撃を文明の衝突とか「善と悪」の戦いと見なすことを非難し[]、次のような見解を示している。すなわち、今回のテロ攻撃の背後にはアメリカによる経済支配への鬱積した不満が存在しているのであり、経済的な南北格差を根絶しなければ問題は解決しない。そもそもアメリカがテロを非難することはできないのであり、アメリカ自身が国家テロを第三世界に対してこれまでさんざん行ってきたのである。キッシンジャーもチリでの弾圧の責任を追及されている。キッシンジャーはチリのオサマビンラディンである[]

 緑の党に対するガルトゥンクの批判の成否は別にしても、近年の緑の党の変化には驚かされる。緑の党は二〇〇二年三月にベルリンで行われた党大会において二二年ぶりに新しい党綱領『綱領緑2020Programm:  grün2020』を採択しているが(三月一七日)、この新綱領実際上、絶対的非暴力主義放棄している。暴力をなくし平和を確立するためには、正義と民主主義が行われる世界を目指す政治が行われなければならず、暴力に暴力で報いることは対立を深めるものであり、「暴力が政治に取って代わってはならない」と長い前置きしながらも、「しかしわれわれは法治国家や国際法によって正当化された暴力の行使を常に排除できないことも知っている」、とりわけ「民族虐殺やテロを行う暴力が政治を否定してしまう場合には」と述べられている(Grünen 2002: 10)

 緑の党の変化に象徴されるドイツにおける平和主義の変貌は、平和主義の非暴力主義からの決別であり、正義によって「正当化される暴力」を認めることによって「正戦論」への変貌を意味することになるのだろうか。「9・11テロ」後、特にアメリカによるアフガニスタンへの「反テロ戦争」が始まってから、ドイツの『フランクフルター・ルントシャウ』誌上で行われた平和主義論争を次に考察し、平和主義の将来について考えてみたい。

 

                   第3節 平和主義論争

 二〇〇二年の一月七日に『フランクフルター・ルントシャウ』誌に、アフガニスタンへのドイツ軍派遣を推進したドイツ外務省の政務次官ルットガー・フォルマー(Staatsminister im Außwärtigen Amt Ludger Volmer)が「平和主義で残るものは何か?」という論文を掲載した。フォルマーは外務大臣フィッシャーと同じく緑の党に属し、彼の主張は緑の党主流派の見解と考えられるが、彼は軍事力の行使を排除しない平和主義への路線転換を主張している。この論文に対してその後、さまざまな論者が同誌上で反論を行っている。

 

1)      (1)政治的平和主義という正戦論

1-1              フォルマーの「政治的平和主義」

 フォルマーによれば、平和主義とは絶対的な非暴力主義ではない。平和主義とは、政治が軍事的暴力(戦争)という最後の手段(Ultima Ratio)に訴えることを阻止しようとするものであり、戦争に対する政治の優先、暴力に対する対話・交渉の優先のことである。ところで、ここから〈暴力に対する対話の優先という政治の枠組み(政治的空間)そのものを否定する暴力に対しては暴力をもって戦うことは平和主義と矛盾しない〉と結論づけるのがフォルマーの「政治的平和主義Politischer Pazifismusである。

 フォルマーがまず第一に指摘するのは、平和主義を絶対的な非暴力主義と理解してしまえば、それはもはや政治的な概念ではなく、宗教的な倫理になってしまうという点である。「殺人の禁止」は宗教的な倫理的要求であるが、それが人間行動の唯一の規範ではない。宗教的倫理(個人の内面的な絶対的価値表象)を、現実の歴史的諸条件に制約された人間の生に厳格に適用せよという要求は「宗教的原理主義者religiöse Fundamentalisten」の要求に過ぎない。平和主義が政治的な概念である限り、言い換えると、平和主義を政治的な次元で語る限り、「それ〔平和主義〕は〔非暴力という〕規範に従うもの(normengeleitet)であるが、しかし同時に歴史的に制約されていることをも自覚している」。絶対的な非暴力主義を歴史的諸条件を無視して原理主義的に要求する平和主義は「抽象的な心情倫理の平和主義」に過ぎない。――フォルマーはM・ヴェーバーの心情倫理と責任倫理との区別を持ち出し、原理主義的でロマン主義的な心情倫理が現実の政治的決定に対して破壊的な結果をもたらすことを警告している。平和主義は「政治的平和主義」であるべきであり、「心情的平和主義」であるべきではない。

 フォルマーは、平和主義は歴史的にさまざまな形態をとったことを示し、その歴史的限界を指摘している。(1)一握りの独占資本家の帝国主義的拡張政策のために労働者階級が帝国主義戦争に駆り出されるのだと主張し、資本主義国家否定しようとする平和主義(階級闘争平和主義)。(2)ナチズム、反ユダヤ主義、軍国主義が引き起こした悲惨な戦争への反省から生まれた戦後ドイツに広まっていた心情的平和主義。これは、ノー・モア・アウシュヴィッツ!ノー・モア戦争!Nie wieder Auschwitz, nie wieder Krieg」という標語に現れているような私はイヤ平和主義"Ohne mich"-Pazifismus」と呼ばれている。この心情的平和主義に対して、フォルマーはコソボ戦争のときの「民族浄化」に言及しつつ次のように批判している。「ファシズムの過去をもつがゆえに、民族浄化を阻止しようと欲するならば、限定された軍事行動は肯定しなければならないだろう」。(3)また七〇年代の平和主義はベトナム戦争に反対する平和主義であり、帝国主義的先進工業国が開発途上国の解放運動軍事力で抑圧することに反対するものであった。日本で言う「ベ平連」的平和主義に対応するこのような平和主義もその状況の中での正当性をもっていたが、今回の反テロ戦争には適応できない。その理由としてフォルマーが挙げるは、アメリカのアフガン攻撃はアフガニスタン市民の解放であり、天然資源の利権を目指す戦争ではなく、新しいテロ攻撃への防衛戦争だというもので、ほとんどブッシュ米大統領の口真似をしているようである。(4)八〇年代の平和主義は、米ソの核軍拡競争がエスカレートする中、ヨーロッパに核戦争、核ホロコーストの危機が迫る中、核戦争に導くあらゆる戦争に反対する「新しい平和運動」であった。核兵器のみならずABC兵器といった大量殺人兵器の問題は、冷戦後の現在でも重要であり続けるが、国際的テロ組織がそのような大量殺人兵器をもつ危険性が存在する現在、まさにテロ組織に対する軍事行動が必要である。

 さまざまな平和主義の妥当性はさまざまな歴史状況における妥当性であって、それらは単純な絶対的非暴力主義ではなかった、というのがフォルマーの結論である。国際的テロ組織のテロ攻撃によって国際社会全体の安全が危機に瀕しているとき、この新しい歴史状況に対して従来型の平和主義では対応できない。従来の平和主義は、国家が軍事的暴力を使用することに反対してきた。従来の平和主義の説明によれば、《国家は、特権階級の利益を保護・拡大するために、国民を戦争に駆り立て、他国民を「敵」へと虚構し、自国のナショナリズムを煽り立てる。しかしこの「敵」の像は虚像であり、両国の市民はともに平和な生活を願う人間であり、本質的な敵対性をっていない市民たちの対立は原理的に対話によって調停可能であり、政治的解決を見出せるものである。したがって国家による軍事行動は許されえない。国家による暴力行使は、あらゆる国民・人民・市民の利害に反するものである》。このような従来の平和主義の基本的考えが、「9・11テロ」で明らかになった新しい世界状況のなかでは妥当しない、とフォルマーは主張する。

 「虚構された『敵』の像が存在するだけで〔敵など存在しないということで〕はない。現実の敵もまた存在している。それは、国家間の紛争といったカテゴリーによっては把握できないような敵である。〔冷戦後の世界においては〕もはや国家同士とか民族同士が互いに戦っているのでも、軍事同盟同士が軍拡を競い合っているわけでもない。国際的なネットワークを張り巡らした一つの非政府組織Nichtregierungsorganisationがグローバル化した近代世界に対して極悪犯のエネルギーをもって戦いを挑んでいるのである。犯罪的な暗黒社会が近代社会の基礎を掘り崩そうとしているのである。」(Vollmer 2002)

 フォルマーの言っていることはほとんど、ブッシュ大統領が二〇〇一年一〇月九日に、「無限の正義infinite justice」改め「不朽の自由enduring freedom」と名づけたアフガニスタン攻撃作戦の開始に際して語った『我々は失敗しない。平和と自由が勝利するのだ』の論理と同じである。われわれが直面しているのは文明と野蛮との対決であり、文明諸国間での国際紛争は平和的手段によって解決可能であるとしても、野蛮との対決においては暴力の使用は正当である、という主張である。このような主張に対して、文明と野蛮とか、善と悪との戦いという構図は何も「9・11テロ」後にはじめて現れたわけでもなく、日独伊という「悪の枢軸」に対する自由と民主主義を守る連合国の戦いが第二次大戦だったのであり、冷戦時代にもレーガン大統領はソ連を「悪魔の帝国」と呼んでいたのだと指摘しても、その声「正戦論」ムードの中でかき消されるだろう。

 国際的なテロ組織に対する戦いが「全く新しい状況」であるというイデオロギーはかなり受け入れられているのではないかと思われる。それを補強するパラダイムの一つは「暴力の民営化」という考えであろう。フォルマーも言及し依拠していると思われるこの概念について考察しておく必要がある。

 

1-2            暴力の民営化

 「暴力の民営化Privatisierung der Gewalt」という概念はエップラーという政治家が使用し、ドイツで議論を呼んでいる。

 エアハルト・エップラー(Erhard Eppler)は一九二六年生まれのSPD政治家である。彼はドイツの再軍備に対する反対を契機として政治の世界に入り、八〇年代にはドイツへの核ミサイル配備に反対する反核平和運動にも参加していた。彼は理論的にも実践的に戦後のSPDの政策をリードする人物であるようで、一九八九年に改訂されたSPDの綱領、いわゆる「ベルリン綱領」には彼の考えが反映しているといわれる。

 そのエップラーはコソボへのNATO軍の介入に賛成したこと平和主義者から批判されたが、今回の「反テロ戦争」に対してもそれを肯定する独自の見解を表明している。エップラーは二〇〇一年九月二一日に開催されたバーデン・ヴュルテンベルグ州SPD党大会で演説し、アフガニスタンへの軍事介入を肯定し、従来の平和主義を再考すべきだと提言している。(以下、Eppler 2001を参照)

 彼はこの講演でまず、現在の社会状況は二〇年前に彼が平和運動にたずさわっていたときとは根本的に変化してしまったという認識から出発する。今回のテロ攻撃は、高層ビルや旅客機など高度な文明の利器から成り立っているわれわれの社会が、ウルリッヒ・ベックの言う「リスク社会Risikogesellschaft」であることを悲劇的な事件を通して気づかせたのである。そして二一世紀の世界にとって本質的な問題は、われわれの傷つきやすい(verwundbar)文明社会に「安全」をかろうじて与えてきた「国家」が衰退しつつあることである。国家は「暴力」を独占することによって、各個人の私的な暴力行使を排除し、社会に「安全」を与えてきたのである。その国家が衰退しつつある。それは一九八〇年代のサッチャー主義やレーガン主義によって福祉国家を解体し、小さな国家を目指すという新自由主義や市場絶対主義の動きとして始まった。そしてこの趨勢は、市場を政治で置き換えようとした社会主義の試みが破綻したことによって、世界に広がった。政治を市場によって置き換えようとする新自由主義は、以前には政治的国家が担ってきたものをつぎつぎに「民営化し商品化privatisieren und kommerzialisieren」してきた。資本と商品と労働力が国際的に自由に移動する経済のグローバル化は国家の衰退を決定的なものにしている。国家は国内の経済や国民の福祉を管理する能力を失いつつあるだけではない。国家はいまや、暴力を独占して社会の安全を維持するという基本的役割を失いつつある。国家に代わって市場が最適の資源分配を行い、結果として安全を供給すると新自由主義は約束するが、九〇年代末に世界各地で起こった金融危機を思い起こすだけでも、その破綻は明らかである。経済のグローバル化は従来の国民国家から次第にその「主権」を剥奪しているが、その中核である「暴力の独占」という国家の基本性格そのものが弱体化しつつある。暴力までが民営化されているわけである。しかしとエップラーは主張する国家による暴力の独占は国民に安全を保障するための不可欠の前提である

 確かに二世紀の歴史は、国家による暴力の独占が「殺戮の独占Tötungsmonopol」に陥った例を再三示してきた。しかしだからといって国家による暴力の独占が端的に悪であるというのは誤りであり、悪い暴力独占と良い暴力独占を区別しなければならない。社会が存立してゆくための最低限の暴力独占を国家が担わなければならないのである。二一世紀の世界が直面する問題は「民営化され、商品化され、脱国家化された、全く無法な暴力」である。

 エップラーが二一世紀社会の問題性をこのように描く背景には、九〇年代に批判され、信頼を失いつつある福祉国家論を別の形で復活させようという、社会民主党(SPD)の議員としての政策的意図が存在するだろう。しかし彼の議論は、新自由主義的な市場絶対主義によって失墜した福祉国家の理想を再生させようというだけにはとどまらず、「暴力の独占」という国家の機能を再評価すべきだというのである。国家による暴力独占の正当化の論理という側面が強い。不平等な富の分配の回避という福祉国家論的な問題にも言及されているが、社会的平等という要請は、人権をめぐる倫理的規範として提示されるのではなく、「どの程度の不平等において、社会は解体し、民営化された暴力が解き放たれるのか」という社会工学的な考慮から導き出されている。

 エップラーは「暴力の民営化」が二一世紀の問題だというが、それの典型例として挙げられているのは、アフリカや中央アジアやインドネシアの一部において国家が実質的に消滅し、混乱のなかで各個人・私人が暴力に直接曝され、また自ら暴力に訴えざるを得ない状況とか、都心の治安悪化を恐れた中産階級が私設警備員に守られた《プライヴェイト・コミュニティー》に移り住むようになっているアメリカの状況である。第三世界は無法状態に陥り、先進国では金でわれる「新しい城壁都市」内部の安全地帯とその外部の無法地帯への分裂が進み、世界全体が中世的世界へと逆行するというのが、暴力民営化」論世界イメージである。

 9・11テロが与えた衝撃は、エップラーにとっては、「民営化された暴力」が先進国、つまり民主的な法治国家であると考えられていた国家の基礎を揺るがすことを気づかせた、ということになる。人々はこのテロの衝撃を通して、国家による暴力独占が社会の安全を保障するものであることにあらためて気づいたはずである。暴力を独占する国家が常に「悪」であるわけではない。「良い」暴力独占が存在し、それは「民主的法治国家」による暴力の独占である。「民主的法治国家はおよそ人類の発明品のうちもっとも天才的なもののひとつであ。なぜなら民主的な法治国家によってのみ、暴力を正義・法に従属させることが可能だからである」(Eppler 2001)

 さて、暴力独占を強固に確立した国民国家の時代には、平和主義が、暴力独占の誤用を警戒し、国家の暴力独占は原理的に悪だとみなして行動することも、それなりに正当ではあった。しかしその国家による暴力独占という前提が崩れつつある世界において、平和主義者の課題は、国家による暴力独占の誤用を警戒するだけ十分ではない。一世紀の世界において、平和主義者は暴力の民営化に対処すべきであり、民主的法治国家が暴力を独占するために必要な暴力を「良い暴力」として肯定すべきなのである。法の支配と平和は《国家による暴力の独占》を基盤としている。平和主義は、絶対的非暴力主義という自己認識を改め、暴力の正しい国家独占を求める思想へと変容すべきである。

 これがエップラーの「暴力の民営化」論から帰結する新しい平和主義の理論であり、フォルマーの「政治的平和主義」の構造も、「良い暴力」の肯定に関しては同様であると考えられる[10]。再びフォルマーの言葉を引けば、

 「今日、政治的平和主義とは次のことを意味する。それはすなわち、政治を優先させ、軍事的措置を政治的な戦略に従属させることに尽力し、また国連中心的な役割を果たし、人道的な戦時国際法が実効力をもち〔制裁〕諸手段が過度に厳しくならない(Verhältnismäßigkeit der Mittel)ように尽力し、さらに人道的支援人権擁護、海外文化政策や文化間対話のために尽力し、開発援助やそのための機構の設立に尽力し、グローバル・ガヴァナンスやグローバルな正義を目指す国際的な構造政治に尽力することである」(Vollmer 2002)

 フォルマーの場合、人権とグローバルな正義を目指す諸国家が国連を中心として《暴力を独占》すれば、そこに《良い暴力》が成立するという構造になっている。彼の議論の要点をエップラーの議論で補完しながら整理してみよう。

 第一まず、政治とは、利害対立を戦略的対話によって解決し、軍事的暴力の使用を最小限にするための枠組みである。政治はその本来の姿においては政治的平和主義である。しかし暴力を最小限にし、政治的交渉を優先するという政治的枠組みそれ自身が「暴力の独占」に支えられており、それゆえ「暴力」に基盤を置いていることを忘れるべきではない。文明社会は暴力の独占の上に、あるいは《良い暴力》の上に「平和」を築いている。

 第二に、国家による暴力の独占という近代国民国家の前提が崩れつつある。経済・社会・政治のグローバル化の中で「暴力の民営化」現象が現れ、特定地域内での暴力の独占を国家が維持できなくなっている。それゆえ超国家的な暴力独占機関が必要とされる。国連という組織にその期待がかけられる。国連とそれに協力する諸国家が補完しつつ〈国際的な暴力独占〉を行なう(国家の主権は部分的に制限される)。このような「グローバルな正義」を可能にする国際的な政治構造完成こそ「世界内政」の実現となる。 

 第三に、「世界内政」実現への一歩と見なしうる行為を、「絶対的な非暴力主義」という誤った平和主義によって否定すべきではない。

 「九月一一日[のテロ]はこのような新時代を導入した。変化はまだ不完全である。国際法はなお、国家間の抗争という形態において形成されており、『民営化された暴力』は領土的に限定された国家の枠組みにおいて(teritorialstaatlich)秩序づけられねばならない。[しかし]安全保障政策の次元でもやっと萌芽としてではあるが(erst in Ansätzen)、経済や環境問題では既に以前からわれわれの意識を規定してきたグローバル化が認識されるようになっている。これこそ平和主義者が望んでいた世界内政ではないのか?」(Vollmer 2002)

 

 このように見てくると、ハーバーマス、フォルマー、エップラーなどの平和主義がほとんど同一の構造を持っていることが判る。三者とも「世界内政」を目指す国連主義を標榜し、その実現のためには、多少の問題ははらんでいても民主的な軍事大国が管理する軍事力の行使を許容すべきだとい論理、〈目的は手段を正当化する〉という「正戦論」の論理に与していると言えよう。

 

2)      (2)「政治的平和主義」批判

 アフガニスタンへの軍事介入肯定論としてフォルマーの「政治的平和主義」論文が表れると、これに対して直ちにさまざまな反論が『フランクフルター・ルントシャウ』誌に掲載された。

 

2-1              a)緑の党を国家主義者として批判

 一月一六日に掲載されたヴォルフガンク・ゲールケ(Wolfgang Gehrcke)の「ちょっとした戦争」という皮肉な表題の文章は、緑の党が世界内政という理念の背後で、権力欲のために米国追随の政策へと転換し、平和主義を裏切ったと批判している(Gehrcke 2002)ゲールケは、旧東独の共産党(正確には「ドイツ社会主義統一党SED」)の後継政党である「民主社会主義党PDS」の対外政策担当スポークスマンである。

 ゲールケによれば、フォルマーが代弁している赤緑政権の政策は、ドイツの過去に対する反省から生まれた「ノー・モア・アウシュヴィッツ!ノー・モア戦争!」という信条を改竄し、かつてユーゴ戦争を正当化し、今「反テロ同盟」への軍事参加を行っているが、これは平和主義への裏切りだと論じる。

 問題は、「反テロ同盟」が世界政府(あるいは擬似世界政府)ではなく、アメリカの排他的なイニシャティヴによって遂行されている点にある。ドイツ政府は、世界の経済と政治を支配するG8国家のグループに対して忠誠を示すために、アメリカに擦り寄ったに過ぎない。ドイツ政府の同盟参加は、ドイツ国家の国益追求行為である。緑の党も国家主義者Nationalistになったということである。

 それに対して社会主義者(PDS)は、非軍事的な誠実な仲介者(ehrlicher Makler)の立場を堅持しようという。

 

2-2            b)「宗教的・預言者的平和主義」

 カトリック平和運動団体『キリストの平和』のドイツ事務総長ラインハルト・フォス(Reinhard J. Voß) は宗教者の立場からフォルマーに対する批判を行っている(Voß 2002)

 フォスによれば、フォルマーの政治的平和主義も、軍事的手段を必ずしも排除するものではないとはしながらも、基本的には紛争処理や平和貢献や和解作業に市民的な(zivil)手段で取り組むという基本姿勢をもっている(そうでなければ、それは平和主義という名に値しない)。だとすれば、この政治的平和主義も軍事力の論理に取り込まれることを避けようとするはずであるが、しかしそのような回避力の源泉は「非暴力主義」からの異議申し立てに由来するしかないのである。フォスは非暴力主義を「宗教的・預言者的prophetisch-religiös平和主義」と呼、その宗教的側面を強調する。非暴力主義と宗教性との関係の問題にはここでは立ち入らないが、絶対的非暴力主義こそが平和主義に固有の抵抗力と批判力を与えるという指摘は重要である。平和主義を、「暴力独占」としての平和状態を実現するための有効性問題に還元すれば、それは〈暴力によって平和を維持する〉という軍事力主義(Militalismus)に容易に取り込まれてしまう。非暴力主義を本質とする平和主義は、もっとも困難な状況の下で「最後の手段」として行われる「正義の戦争」をも「悪Übel」と見なすという立場を貫くからこそ、平和主義の名に値する。

 フォスの議論においてもう一つ注目すべき点は、フォルマーも依拠しているエップラーの「暴力民営化」論の扱い方である。国家による暴力の独占が崩れ、私的な暴力が蔓延しつつあるという「暴力の民営化」状況を現状の一面としてはフォスも認めるが、彼はそこから反対の結論を引き出す。

「今日、戦争は以前とは異なった様相を呈しており、もはや明確な前線は存在しない。だからこそ、少なくとも一方の側〔つまりテロリストの側〕で戦争がいわば民営化され、それをはっきり定義できる戦場内に限定できない場合、『制度としての戦争の廃棄』という平和主義の要求は以前にも増して現実性を帯びるのである。いくつかの国家は再び伝統的な戦争遂行類型に逆戻りしようとしているが、そのような戦争の仕方はもはや無意味であり、むしろテロ攻撃以上に世界平和を損なっている。テロ集団やその国際的ネットワークを追跡する代わりに、国家を攻撃しているのである。」(Voss 2002)

 暴力の民営化としてテロ位置づけるということは、テロ組織が特定の「テロ支援国家」にコントロールされているのではないということであり、だとすれば特定の「テロ支援国家」に戦争を仕掛けても無意味である。むしろ必要なのは、世界内政の実現に向けて国連改革という枠組みの中で練り上げられてきた国際的な法制定、警察組織、新しい外交手段をさらに発展させることである。「あらゆる国家、とりわけアメリカ合衆国がなすべきことは、権力の片務主義・身勝手さ(Unilateralismus)から決別し、これまで練り上げられた多くの提案、すなわち京都議定書や生物兵器制限条約や国際刑事裁判所設立条約に批准することである。」

 「暴力の民営化」の認識や、国連主義の理念を同じく掲げても、軍事行動の容認が必ずしも帰結するわけではなく、フォスのように米国の大国主義的な軍事力主義への批判を引き出すことができる。

 

2-3            c)「棘としての平和主義」

 ヘッセン州平和・紛争研究所所長のハラルト・ミュラー(Harald Müller)が一月二四日に発表した「独善の肉体に刺さった棘」という論考は(Müller 2002)、心情倫理的平和主義と政治的平和主義の両者から距離をとりつつ、いずれの立場も完璧ではなく、それぞれジレンマを抱えていることを指摘し、むしろ両者が議論の両極として民主的討議空間に存在することが、民主主義が独善に陥る危険を回避させるのだ、と論じている。

 フォルマーが心情倫理的平和主義と呼び、その非現実性を非難した古い平和主義も、実はそれほど完璧な非暴力主義ではなかった、とミュラーは指摘する。ベトナム戦争反対運動は平和主義の運動というよりは、反アメリカ帝国主義の運動であり、ベトコンが戦うことには明白な共感を示していた。またソ連の核ミサイルSS20配備計画に対抗して、NATOが打ち出した西ドイツへの米国製パーシング・ミサイル配備計画(いわゆる「NATOの二重決定」一九七九年一二月)に反対して盛り上がった八〇年代初めのドイツの反核平和運動も、それがNATOを批判することで、ソ連の軍事的優位を承認してしまうというジレンマを抱えていた。平和運動は、ソ連を標的とした「敵イメージ」の強化によって軍備増強が推し進められることに反対していたが、かといって平和運動が「敵イメージ」一般から自由であったわけではなく、「アメリカ帝国主義」は明らかな「敵」とされていたし、「兵隊はみんな人殺し!」というスローガンが出るまでになっていた。ドイツにおける古い平和運動が無条件の非暴力主義に徹していたわけではない。他方、歴史的状況が変化するなかでは軍事力の使用も認めるべきだとするフォルマーの政治的平和主義も、ある種の原理主義にとらわれている。つまりフォルマー的な「新しい」平和主義は、「人権」という絶対的価値の擁護のためには暴力の使用も許されるという立場なのである。古い平和主義は「非暴力」を絶対化し、新しい平和主義は「人権」を絶対化しているという違いはあるが、両者とも絶対的で普遍的な規範に従っていると思い込んでいる「心情倫理」のひとつであり、しかも共に不可避的なジレンマを抱えている。

 「平和主義者は原理としての非暴力を堅持するために、悪者が抵抗を受けずに暴力を用いることを許してしまう。人権のために戦う人々は、この戦いに付随しうる罪なき人々の身体と生命の犠牲という不可避的な『随伴被害Kollateralschaden』に対して責任をもつことになる。」(Müller 2002)

 二つの立場の限界を同時に指摘するミュラー自身の立場はどうなるのか。彼は、非暴力主義と人権主義とが民主的討議の場における「必然的な二極」だという折衷的な立場をとる。人権を守り、平和を維持するためには軍事力の使用を排除すべきでないが、しかし非暴力主義としての平和主義は民主主義社会が平和を維持するためには相変わらず不可欠である。とりわけ民主主義と平和との関係が変化している現状においては非暴力主義という「理念」が不可欠である、とミュラーは論じている。

 ミュラーによれば、カントの「永久平和論」以来一般に想定されてきた民主主義がもつ「平和への傾向性Friedfertigkeit」が疑わしいものとなっている。平和への傾向性は、(1)経済的人的コストを市民が避ける、(2)人権意識の高まり、(3)民主的制度による為政者への牽制、という民主主義社会の特性に由来していた。しかし、これらが近年疑わしくなってきている。

(1)湾岸戦争以来のハイテク戦争の出現によって、コスト面からの戦争忌避感が市民の間からなくなりつつある。標的に正確に命中するミサイル攻撃が可能になり、敵味方双方における一般市民の被害が減少している。少なくとも絨毯爆撃による市民の虐殺といったことはなくなった。

(2)民主的国家における人権意識の高まりは、人権を尊重しない国家に対して「人道的介入」という名の軍事行動を許容ないし促進するようになった。

(31)戦争を遂行する政府がマスメディアを利用して戦争を演出するために、マスメディアが戦争を抑止するとは限らない。むしろマスメディアを通した敵の人格化(サダムフセイン、ミロシェヴィッチなど)によって、人々の単純な憎悪と復讐心が掻き立てられている。

(32)民主主義の権力分割は、戦争を遂行する行政機関・軍に対して議会が抑制機能を果たすはずであったが、安全保障同盟の圧力を背景とした政府の参戦決定に対して議会が抵抗することは難しくなっている。(一九九九年三月二四日に始まったNATO軍のユーゴ空爆の際に、同盟国との協調という圧力によってドイツも参戦せざるを得なかった。)

 このように見てくると、カント以来信じられてきた民主主義と平和との結びつきは、完全に断ち切られたとはいえないが、相当緩くなってきている。民主主義のなかで「正戦論」が復活しつつあるというのが現状である。しかしだからこそ、非暴力平和主義が対抗軸として今こそ必要とされる。

 これがミュラーの主張である。彼の現実主義は、重大な人権侵害を伴う国際紛争に関して軍事力の行使を避けることはできないが、それでもその武力行使を「正義」とはみなさず、それに歯止めをかける非暴力平和主義は「理念の棘」として民主主義にとって不可欠である、ということである。

 「棘としての平和主義」というミュラーの考えは、厳格な平和主義者からは恐らく、折衷主義とか機会主義だと非難されるかもしれない。しかし平和主義と人権主義との対立を硬直したままに放置しておけば、人権主義が武力行使を必要悪として容認するにとどまらず、「正戦論」までエスカレートする危険性がある。これを考慮すれば、彼の「棘としての平和主義」は「正戦論」批判としては評価すべきものと思われる。

 

2-4            d)政治的平和主義は隠れた報復戦争肯定論

 精神分析医であり、「核戦争に反対する医師の会Ärzte gegen den Atomkrieg」のドイツ代表であるホルストエーバーハルト・リヒター(Horst-Eberhard Richter)は、フォルマーの議論の構造そのものを批判している。フォルマーの議論は、心情的平和主義と政治的平和主義とを対立的に捉えることで、暗黙のうちに米国の報復戦争を正当化しようとするもの (Richter 2002)、という批判である。

 リヒターによれば、多くの人々は「平和主義」の概念を非常に高いところに設定して、イエス・キリストやアッシジのフランシスといった聖人にしか平和主義を実践できないようにすることで、自分がそれを実践できないという後ろめたさを拭い去ろうとする。そうすることで平和主義は抽象的で絶対的なものにされてしまう。このような操作は、「心情Gesinnungと政治の現実politische Realitätとを切り離そうとするトリック」に過ぎない。しかし心情倫理的な議論の方が政治的現実に対して有効に働くことが多々ある。そのことの実例としてリヒターはゴルバチョフのいわゆる「新思考外交」を挙げている。一九八五年に書記長に就任したゴルバチョフは、ソ連を「悪魔の帝国」と呼ぶレーガン大統領に対して、すべての核実験を一方的に中止し、核兵器の廃絶に積極的な提案をおこなった。八八年にはINF(中距離核戦力)全廃条約批准書が交換され、米ソの和解が達成された。一見非現実的な理想主義的・心情倫理的な発想の方が現実を変革できることの一例である。もうひとつの例として挙げられているのは、オスロ合意後の中東情勢である。一九九三年に「オスロ合意」が成立し、イスラエルとPLOが互いを承認し、パレスチナ人が自分たちの国を建設する希望を抱くことができた。その後の三年間はパレスチナ人によるテロはほとんどなくなった。互いに報復しあう暴力の連鎖を中断するための有効かつ現実的な方法は、相手を暴力によって否定すべき「敵」ではなく、「パートナー」として承認する平和主義の「心情」なのである。心情倫理的平和主義こそ現実的な政治のあり方である。

 さらにリヒターは、フォルマーの「政治的平和主義」論が、911テロに対する米国の報復戦争政策があたかも政治的平和主義政策の一例であるかのように語っていることを批判する。「政治的平和主義」という概念が妥当だとしても、それは「大量殺人犯罪の犯人を追跡し、法的手段によって処罰する」ことだと理解すべきである。それは、政治的な交渉を通して国際的な法の支配を作り上げ、この支配を実行するために暴力を警察力として使用して平和を再生しようというものである。911テロに対するアメリカの反応は、「報復戦争」であり、犯人と特定されていない人々をも攻撃することで、それ自身がテロと「同様の原始的な残酷さに転落」している。その結果「確実に新たな報復テロが呼び起こされるだろう」。

 テロに対して米国が行っている「反テロ戦争」はそれ自身が「テロ」であり、テロの連鎖を生み出すものである。

 

2-5            e)人権の名において軍事制裁をすることの欺瞞

 ベルリン自由大学の政治学の教授ヴォルフディーター・ナル(Wolf-Dieter Narr)は、グローバル資本主義の問題からフォルマーを厳しく批判する。

 「フォルマーは今日直面する問題を『九月一一日』という新たな神秘的符号として以上には何ら捉えていない。彼とは反対に私の主張は、人権を憂慮する観点に立脚し、集合的暴力や広義の戦争という手段に訴えない政治のみが現代の問題に対する責務を果たしうる、というものである。」(Narr 2002)

 ナルにとって、現代世界の問題はグローバル資本主義が世界中の人々に社会・経済的に破壊的な影響を及ぼしていることである。グローバル資本主義は飽ことなく利益を追求し、既存の不平等を新たに増大させている。食料、健康、教育などすべての面での不平等の増大は人権を組織的に蹂躙するものである。さらに「不平等は攻撃性を蓄積し、あらゆる種類の暴力の貯水池を作り出している」。

 グローバル資本主義が生み出す世界的な不平等と社会基盤の破壊という現代の問題を全く無視し、911テロが突きつけた問題を「善」と「悪」との対決といった単純な図式に還元して、軍事力で問題を解決しようとしているのが西側の政治指導者たちである。しかし世界的な不平等の広がりを暴力で解決することはできない。暴力による解決は、人間の生命とりわけ一般市民の生命を奪うだけでなく、人間の生命の可能性をも破壊する。それは人間の生活を暴力の中で社会化し、攻撃性を常態化することである。愚かにも、人権や民主主義の名の下に軍事主義的(および資本主義的)暴力の政治が正当化され、軍事力の増強が続けられている。諸国家は互いに軍備の拡張を競い合い、世界は暴力の底なし沼に入り込む。

 

2-6            f)目的による手段の正当化論の抽象性を批判

 ザクセン州プロテスタント教会監督(Bischof)であるアクセル・ノアック(Axel Noack)は、平和主義の意味が改ざんされ、軍事力肯定論や軍備近代化論という軍拡論が広がる中でかつての平和主義者たちは失望と諦めの中にあると、ドイツの状況を分析する。そして絶望的な状況の中で人々の平和主義を支えるのは、今や失われてしまったと言われる「宗教的言語」ではないかと、宗教家らしい指摘をしている。

 宗教性の復活云々は措くとして、ノアックの批判の核心はフォルマーの戦争肯定論の抽象性に向けられた適切なものである。すなわち、「世界内政」や、暴力を法によって抑制する強い国連の実現という抽象的な〈目的〉を掲げて軍事行動を正当化するのがフォルマーの正戦論であるが、具体的な細部を考えれば彼の議論が欺瞞であることはすぐわかる。世界政治における法の支配を確立できていない国連の脆弱さの原因は、何よりも国連に対する米国のご都合主義であり、国益に関わることでは、国連ともまたNATO諸国とさえも相談せず、自国優先主義(Unilateralism)をとり続けている米国の政策である。軍事行動を容認する以前に、米国の政策態度を非難すべきである。国際テロ組織を撲滅して「世界内政」へ向かうべしという抽象的大儀を掲げるフォルマーの議論は、一般市民が死傷することを「副次的被害Kolateralschaden」だと片づけ、多少の「良心呵責」を感じることで道徳的安心感を得ようとしている。しかし、具体的な細部に目を向ける理性が必要なのだ、とノアックは主張する。

 「〔軍事的制裁〕手段が〔目的の重大さと〕釣り合ったものであるかを問うことを要求すれば、軍隊の投入や空爆が成功した後で何が達成されたのかを正確に分析せざるを得ない。そのような分析は、湾岸戦争でもユーゴ空爆でも行われていない。〔政府の〕決定に対して〔市民が〕責任を負うには情報が必要であるが、その情報が、軍事上の秘密保持という理由でいつも公開されないならば、それは民主的な国家制度をひどく損なうことになる。」(Noack 2002)

 目的による手段の正当化という抽象論に対して、細部の情報公開を行って詳細な貸借対照表を作ってみれば、欺瞞が明らかになるということである。「世界内政という目的によって戦争という手段を正当化するフォルマーの議論の抽象性を批判する視点は繰り返し強調される必要がある。

 

2-7            g)紛争解決策としての非暴力主義

 シュトゥトガルトの平和・紛争研究者で市民運動家であるヴォルフガング・シュテルンシュタイン(Wolfgang Sternstein)は、紛争解決策としての非暴力主義あるいは非暴力活動を再評価すべきだと主張する(Sternstein 2002)

 彼はまず諸概念を彼なりに整理する。

(1)軍事主義(Militarismus) : 戦争政治的行動「第一の手段Prima Ratio

(2)戦争肯定論(Bellizismus) : 戦争政治的行動「最後の手段Ultima Ratio

(3)〔心情倫理的な平和主義 : 戦争を無条件・絶対的に否定

(4)非暴力主義(Gewaltfreiheit) :  「非暴力行動」戦争よりも有効な紛争解決手段

 この分類はまず、フォルマーの「政治的平和主義」が戦争肯定論(「正戦論」と呼んでも良いだろう)に過ぎないことを指摘し、それにあえて「平和主義」という用語を用いるフォルマーは「ネーミングによるペテンEtikettenschwindel」を行っているのだと非難するためのものである。シュテルンシュタインの立場は第四の「非暴力主義」であるが、彼はこれこそが紛争解決のための有効な手段だと論じている。彼はその論拠としてまず、暴力には紛争解決能力はなく、関係者の不満を増大させ、「暴力の泥沼Sumpf der Gewaltsamkeit」に導くことを指摘する。二〇〇二年になって特に悪化したイスラエルとパレスチナ難民との関係(パレスチナ人のテロとイスラエルの国家テロとの悪循環)を見ても、このことは明らかであろう。

 シュテルンシュタインが強調するのは、「非暴力活動」こそが永続的な平和を実現するための実際的な(pragmatisch)方法であり、それを宗教的ないし倫理的な観点だけから捉えるのでは不十分だというである。彼は、マハトマ・ガンジーやマルチン・ルーサー・キングといった古典的事例や、七〇年代八〇年代に盛んであったドイツの反原発運動における座り込みやデモ行進といった非暴力活動が国家のエネルギー政策を転換させた実績に言及し、「冷戦」という暴力の論理を克服しようとしたゴルバチョフの功績や八九年の「壁崩壊」に導いた東ドイツ市民の「非暴力反乱」といった事例を挙げている。

 戦後ドイツ社会が作り上げてきた非暴力活動の伝統を、その有効性と現実性の点から再評価して受け継ぐべきところを、フォルマーはじめ緑の党の多数が「人道的介入」といったイデオロギー的言説に引きずられている事態こそ由々しき問題だということである。

 

2-8            h)ナチズムという過去の道具化

 「基本権と民主主義のための委員会Komitee für Grundrechte und Demokratie」という平和運動組織も批判を掲載している。この委員会はかつての平和運動においてフォルマーや緑の党とともに活動した組織であり、それだけに掲載文に「戦争平和主義だって?私たちはごめんだ!Belli-Pazifismus? Ohne uns!」という副題をつけて今回の緑の党の変節を厳しく批判している。

 批判点としては、これまで見てきたものと重なる点もあり、戦争・軍事行動が本当に最後の手段として選ばれたのか、アフガニスタンへの攻撃を解放戦争と位置づけられるのか、テロに対する対抗テロは暴力のエスカレーションになるのではないか、社民党と緑の党の連立政権はドイツを戦争をする「普通の国」にする大国主義政策に陥っているのではないか、などが挙げられている。ここでは特に「ドイツの過去」をフォルマーが悪用しているという批判を取り上げたい。

 「委員会」によれば、フォルマーは『ノー・モア戦争!ノー・モア・アウシュヴィッツ』という戦後ドイツが過去の反省の中から獲得した要請を、二つの要素に解体し、それらを対立させることで戦争肯定論を捏造しているとされる。フォルマーは、「反軍事主義を救おうとするものは、コソボアルバニア人に対するファシスト的な民族虐殺行為を見過ごさざるを得ない。ファシズムの過去〔に対する反省〕からの帰結として民族浄化を阻止しようと望むものは、限定的な軍事行動を肯定しなければならない」(Vollmer 2002)と述べていた。これに対して委員会は、「状況の具体的な分析を行わずに、君〔フォルマー〕は刺激的な言葉を使い、ナチズムの過去を戦争参加の正当化のための道具にしているのだ」と批判する(Komitee 2002)。コソボでどれほどおぞましいことが起こっていたとしても、それらは「ファシズム」とか「民族虐殺」とは無関係である。このような刺激的な言葉を使って戦争が肯定され、またナチス犯罪と同様のことが別のところでも起こっているのだと暗示することによって、副次的効果としてドイツのナチズムの過去が無害化されているのだ、とも指摘されている。

 ナチスによる民族虐殺という「過去」への反省が、ドイツにおける戦争肯定論や正戦論の復活につながり、しかもそれが、かつて批判的勢力として現れた緑の党の内部でも起こっていることは、ドイツにおける「過去の反省」の内実そのものへの疑念を浮かび上がらせる。

 

 

                   暫定的結語

 これまで見てきたように、九〇年代以降のドイツでは正戦論の明白な復活が跡付けられる。特に9・11テロ後の時点から九〇年代以降を振り返ると、この正戦論が共通の特徴をもつことに気づく。それは普遍的人権を擁護する超国家的な平和維持機構の確立という理想である。このカント的な「世界連邦」や「世界内政」といった理念を引き継ぐ、言わば《国連主義》の理想は、興味深いことに、国際紛争を解決する手段として軍事的暴力の行使を容認する側でも、またそれを否定する側にも共通している。ハーバーマスやエップラーが容認したユーゴ空爆を非難したルッツにおいても、より厳格な国連主義が主張されていた。このことは今回の「反テロ戦争」においてルッツの政治的平和主義を批判した論者たちにも共通することであった。

 争点となったのは、国連主義の理想に照らして、いわゆる『国際社会』が行う軍事行動をどのように位置づけるかであった。軍事行動を容認する立場は、それを理想への一歩と見なし、否定する立場は、それが理想への裏切りであると見なす。しかしこの対立は、歴史的に制約された現実の行動を、理想に近づいていると見なすことも、理想には未だ到達していないとも見なすこともできるといった問題ではない。問題が単にそのようなものであれば、同じ事態を複眼的・多角的に評価すべきだということで解決するだろう。本当の問題は、具体的な紛争について判断する際に、〈目的―手段〉図式、正確には〈目的による手段の正当化〉図式が導入されてしまう点である。この図式が導入されてしまえば、世界平和を実現するための〈良い暴力〉、少なくとも〈許容すべき暴力〉という考えが生まれ、紛争解決は〈善玉〉による〈悪玉〉の粉砕と解され、まさに「正戦論」が成立する。しかしフォルマーの政治的平和主義に反対する人々の平和主義や非暴力主義が意味するのは、暴力を〈平和を実現する手段〉と見なす発想の拒否であり、〈目的による手段の正当化〉図式の否定である。彼らは、暴力そのものを平和の否定であり、〈悪〉だと見なすことによって、平和論における〈目的―手段〉図式を避けようとする。ドイツの神学者オイゲン・ドレーヴァーマン(Eugen Drewermann)は、『平和とは目的ではなく、道程である。平和から出発する者のみが平和に到達するであろう』というガンジーの言葉を引いて、平和と暴力の問題に〈目的による手段の正当化〉図式を持ち込むことの誤りを批判している。

 「聖戦や正戦、あるいは人道的戦争と呼ぼうと、戦争は常に同一の狂気である。悪魔と戦うとき人間は常に、悪魔と見なされるものよりもさらに悪魔的にならざるをえない。軍事的手段によって「人間性」を矯正しようとするとき、それを欲する人間の動機と行動の中に非人間性が入り込む。このようにして、人々は「悪」に勝利することにはならず、勝利によって〔非人間性の〕奴隷になるのである」(Drewermann 2002)

 平和の問題に〈目的による手段の正当化〉図式をもちこむこととは、暴力の否定よりも上位の価値として何らかの〈正義〉を設定することであり、それはドイツの場合「普遍的人権」であり、「民族虐殺や民族浄化の阻止」であった。ナチスの過去のために重い感情的負荷を負ったこれら〈正義〉の言葉の威力に、戦後ドイツの非暴力主義・平和主義が押し流されつつあるというのが現状ではないだろうか。これは、「ナチス犯罪の唯一無比性」を強調し、過去への反省が「加害者意識」に集中したドイツにおける〈過去の克服〉がはらむ問題性ではないだろうか。

 ここで短絡的に戦後日本の〈被害者意識の平和主義〉を肯定的に持ち出すべきではないだろう。しかし〈加害者〉意識に結びついている〈悪い戦争〉とか〈戦争犯罪〉という観念は、容易に〈良い戦争〉とか〈犯罪ではない戦争〉といった観念を呼び起こす。加害者意識が〈正戦論〉につながる一つの例である。非暴力主義や平和主義を守るには、自分が侵略戦争の側に加担したか、反ファシズム解放戦争の側に、つまり正義の側に加担したかにはかかわりなく、自分の身体が受けた被害体験から「戦争はもうごめんだ」と考える〈被害者意識の平和主義〉の根源性を再度見直してみる必要があると思われる。〈正義〉とは関係のない〈被害体験〉のなかに、〈正義〉の戦争論に対する抵抗力を見出すべきではないだろうか。

 

 ところで最後に断っておきたいのは、ドイツにおける正戦論の復活が特にひどいわけではないということである。9・11テロ後の米国の議論状況と比べれば、平和主義の枠内で戦争を肯定しようとするドイツの議論は相当抑制の効いたものだということができる。アメリカの著名知識人六〇名の署名のもとに米国ニューヨークにある「《アメリカの価値》研究所Institute for American Values」が二〇〇二年二月一二日に発表した『われわれは何のために戦うのか』と題された声明文[11]は、ブッシュ政権の議論に全く同調したものである。この声明は、民主主義や自由や人権は普遍的価値であり、それの体現者・守護者がアメリカであって、9・11テロはこの「アメリカの価値」に対する攻撃なのであり、それに対する戦争は「正しい戦争Just War」だと言ってのけている。署名した著名人の中には、フランシス・フクヤマやサミュエル・ハンチントンなど、さもありなんという名前が見出されるが、驚くのはマイケル・ウォルツァーも署名していることである。ウォルツァーはプリンストン高等研究所社会科学教授であるが、「合州国の政治的・知的生活に蔓延する大勢順応主義というお寒い風潮に対して異を唱える」ことを謳っている批判的雑誌『ディセント(異議)』の編集に携わり、市民的不服従を唱える批判的知識人と思われてきた。それだけにウォルツァーの戦争肯定は、アメリカの批判的知識人の体制順応傾向を象徴するものであろう。ウォルツァーは最近の論文で、「人道的介入」という軍事制裁を肯定するだけではなく、この軍事制裁の決定を国際機関に委ねれば、緊急を要する人権侵害阻止行動が遅延させられるとして、大国による「自国優先主義Unilateralism」を積極的に肯定し、米国が国連やNATOにさえ制約されずに軍事制裁を行うべきだと論じている(Walzer 2002)

 このような米国の状況を考えれば、ドイツの議論状況はまだ抑制が効いていて、むしろ希望がもてると言えるほどである。フォルマーの「正戦論」そのものが多くの留保を含み、しかも「平和主義」と自称せざるを得ない。そして直ちに平和主義者から次々と批判の議論が提示され、かなり適切な批判が行われている。本稿でかなり詳しくフォルマー批判の議論を紹介したのは、平和主義の精神がなおドイツにおいて生きていることを示すためであった。政権内部でも一種の揺れ戻しが始まっているようである。三月一四日付けの『フランクフルター・ルントシャウ』誌にはドイツ社民党(SPD)連邦議会会派副委員長のゲルノート・エアラー(Gernot Erler)が9・11テロ以後の政治状況の総括を行っている (Erler 2002)彼はこれまでのシュレーダー政権の対応策を肯定し、とりわけアフガニスタンの平和と暫定政権についてのいわゆる『ボン合意』(二〇〇一一二署名) へのドイツの積極的な貢献を自慢しながらも、報復攻撃を行う米国への『無制限の連帯』というシュレーダー首相の発言は軍事力による紛争解決方針を推進しようとするものではないと断っている。またシュレーダー政権は「グローバル化を人間的なものにし、不正で不公正な世界秩序を改める新たな政治戦略」という平和的・市民的な紛争予防・解決策に向けて努力するのだと強調されている。そして「悪の枢軸Achse des Bösen」とか「ならず者国家Schurkenstaaten」という挑発的言語を米国が使用すること、また第二段階の「反テロ戦争」をNATO同盟国にも制約されず自由に行うと宣言する米国[12]に対してかなり批判的である。「メディアでしばしば簡潔に表現されているように、『アメリカが戦い、国連が食料を与え、EUが金を出す』という新たなグローバル分業が始まるのではないかとヨーロッパ人は危惧している」(Erler 2002)という辛らつな表現でアメリカの身勝手さが批判されている。

 もちろん、米国に対するこのような不満が、非暴力平和主義の方向へ向かうかどうかは楽観できない

 

 

 


                   引用文献表

 

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千田善 (1993) 『ユーゴ紛争:多民族・モザイク国家の悲劇』講談社現代新書

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日高六郎 (1980) 『戦後思想を考える』岩波新書

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フクヤマ、フランシス(2001)「「アメリカの例外的な立場」の終わり」『現代思想』10月臨時増刊号(初出はFinancial Times, 2001.09.16

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[] このテロ事件を日本では「同時多発テロ」と呼ぶが、海外では”Terror of September 11”が一般的と思われるので、本稿では「9・11テロ」と呼ぶことにする。

[] この反テロ戦争は当初、「無限の正義infinite justice」作戦と名づけられていたが、これは米国が自己を神だというに等しく、特にイスラム諸国から反発があり、「不朽の自由enduring freedom」に改名された。

[] 歴史家論争については本稿では立ち入らないが、とりあえずPieper Verlag 1987とその邦訳を参照されたい。

[] ユーゴ紛争長期化の責任を欧米諸国、とりわけ初期にはドイツ、全体として米国の対応の誤りにあると指摘している千田の報告は注目に値する。参照、千田1999および千田1993

[] 「心情的平和主義」という言葉自体が、非暴力主義を堅持する平和主義に対する「非現実主義」や「ロマン主義」といった揶揄を含んだ表現であるため、中立的な表現としては「非暴力平和主義」を使うことにする。

[] 一九五五年にドイツがNATOに加盟し再軍備を行った後に付加されたドイツ基本法第八七条aには、明らかに個別的自衛権の規定が存在しているが、ルッツによれば、この規定も基本法の根底的な平和主義に従属するものと解すべきである。

[] このことを示すためにフィッシャー外相は、キューバのグアンタナモ米軍基地に拘留され、尋問されているアルカイダ兵士の人道的扱いについて再三米軍に申し入れを行っていた。

[] ガルトゥンクは対話による解決を求めるが、国連主導による正当な制裁には同意している。

[] 本稿では詳述しないが、同様の視点からノーム・チョムスキーは、アメリカこそが「テロ国家の親玉leading terrorist state」であると批判している。「国際司法裁判所World Courtが国際的テロで有罪を宣告した唯一の国が米国であり、米国だけが国々に国際法の遵守を求める決議案を拒否した」(Chomsky 2001: 44/45)

[10] ただしエップラーの場合には、「暴力の民営化」を憂慮する議論は、直ちに超国家機関による暴力の独占を要請するのではなく、むしろ暴力の再独占を国家に託し、福祉国家論の再生を目指しているようである。参照、Eppler 2000: 77-99

[11] この声明文はデビッド・ブランケンホーンが主宰する雑誌『提言Propositions』に掲載されている。『提言』のサイトhttp://www.propositionsonline.comで閲覧することができる。

[12] 二〇〇二年二月二日のNATO安全保障会議に出席した米国防副長官ポール・ヴォルフォヴィッツの発言。