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第六章 司法権について、

第一節
アメリカの司法権
 司法権のもつ政治的重要性は非常に大きなものである。そのために、ここではアメリカにおける司法権について調べることにする。
 司法権には三つの特性が見られる。それは、「司法権は訴訟があるときにだけ発言することができる。司法権は特殊な事件だけを扱う。司法権は行動するためには、常に彼が求められなければならない。」というものである。アメリカ人はこれらの慣習的に認められた特性を司法権に保存している。このことは他の諸国の司法官たちの行動とよく似ている。
しかし、アメリカにはおおいなる政治権力が司法権に与えられているのである。

政治権力が与えられている理由
 アメリカの裁判官に政治的権力が与えられている理由として次のことがいえる。それは「アメリカ人が判決を『法律』よりも『憲法』に基づいてなす権利を裁判官に認めている」ということである。つまり、裁判官は憲法違反にみえる法律を適用しない権利を認められているのである。この裁判官の権利はすべての者から認められたものである。

アメリカ的憲法
 アメリカにおける憲法は恒久不変なものでなく、議会のような社会の普通の権力によって修正されるものでもない。アメリカ憲法は全人民の意思をあらわしており、きめられた形式にしたがって、そして予想される一定の場合に人民の意思によって変えられうる特別なものである。よってアメリカでは憲法は変化するものであり、すべての権力のもととなっている。どんな権力よりも優越した力は憲法だけにある。
 また、アメリカでは憲法は立法者、単純な市民をも支配している。法律中第一の法律でもあり、法律によって修正されえないものである。
 国民はその憲法を変えるにあたって常に司法官を国民投票をもって服従させることができる。このため、政策と論理は一致しているし、憲法については人民も裁判官も等しく自らの特権を保存している。(1.202)

変容する法律
 法律は個人的利益を損なうようなものは事実上、極めて少ない。このことから、司法的分析を永い間受けることのない法律はないと考えられる。
 裁判官がある訴訟である法律の適用を拒絶したその日から、法律はその道徳性を失う。また、その法律によって損害を受けた人々によって多くの訴訟が起こるため、その法律は無効となる。そのため、人民によってその憲法が変更されてしまうか、その法律が立法議会によって廃止されてしまうかのいずれかが起こる。
 よって、裁判所は大いなる政治権力を委託されているのである。しかし、その権力は司法的手段が適用されるときのみ使用されるものであるため、この権力の危険性は減じている。

アメリカ的裁判所の落とし穴
 アメリカ的裁判官は自らの意思とは関係なく政治面に引き出される。彼は訴訟が存在すれば、その訴訟を裁くためにあらわれる。しかし、法律の中には訴訟を決して起こすことのないものも存在している。そのため、裁判所はすべての法律に対して、無差別に司法的検問を行うことができないのである。
 アメリカ人はこれを不完全な救治策のままほうっている。なぜならすべての法律に対して裁判所が司法的検問を行うことは危険性をはらんでいるからである。
 そのため、次のような結論が浮かび上がる。「アメリカ的裁判所に与えられている権力は、法律の憲法違反を宣言することはできる。けれども、その権力はその窮屈な限界内に閉じ込められているために、政治的集会の圧制に対抗してうちたてられているもっとも強力な一障害を形成している。」(1.205)

二節 アメリカ的裁判官に与えられている他の諸権力
アメリカ的訴訟についての考え
 執行権の受託者たちが法律を破ったとき、裁判所が彼らを罰すること認められるのは裁判所のもつ自然的権利である。
 「アメリカ連邦ですべての公務員、裁判所に対して責任を持つようにしたからといって政治の原動力が弱められるとは思われない。それどころかアメリカ人はそのように行動することによって治者に払われるべき敬意を増し、治者も非難されないように非常に慎重になるように思われる。」(1.206)
 また、アメリカ連邦では政治的訴訟はほとんど起こされていない。なぜなら、訴訟とは往々にして大金が必要となるものであるし、法廷で公務員を名指しで告発するには告発の正当な動機がなければならないからである。これはイギリスでも見られるものである。
 このアメリカ人やイギリス人は権力の受託者を裁判できるために自分たちが独立しているとは考えていない。彼らは自由が保証されているのは、いつでも最もいやしい市民たちの手の届くところに置かれている小さな訴訟によってであって、結果の出ない大訴訟によってではないと考えている。これは彼らアメリカ人やイギリス人の告発を容易にし刑罰を軽くすることで、裁判を確実にし、有効なものとなるという考えから導かれる。

フランスにおける訴訟
 フランス憲法には次のような条文が存在する。「大臣以外の政府の役人は枢密院の決定によってのみ、その公務関係の事実のために告発されうる。この場合、告発は普通裁判所で行われる。」
 つまり、枢密院は司法団体ではなく行政団体で王に従属しているものである。そのため、王の権威によって不正行為を見逃すことも可能である。このような不正によって市民が損害を受けた場合公平な裁判を王に要求できることがあるというがそれは理解されるものではない。かつて君主政治の時代にも王権によって訴訟を無効にされることもあったが、当時は専制政治が突出しており、人々は力のみに服従していた。
 このように、現在のフランス人は暴力だけが先祖たちを強制したものを、正義の口実の下に行わせており、そして法律の名の下に神聖なものとしているため、先祖が到達した点よりもはるかに後退してしまっている。