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第3章

目次

第一節 アメリカにおける平等という社会状態の確立

 はじめに

 ハドソン河西南部とフロリダ諸地域における社会状態

 相続法

 相続法による土地分配の結果と現在

 知的平等

 アメリカの状況

第二節  政治社会における平等

 アメリカにおける政治社会


第一節 アメリカにおける平等という社会状態の確立

はじめに


 社会状態は普通には事実の産物であり、時としては法律の産物であり、しばしばこの二つの結合された産物でもある。(1.99.1-2)しかし、一旦、社会状態が存在すると、この社会状態自体が法律、習慣観念の第一原因にもなりうる。
 よって、ある民族の法制と風習とを理解するにはその社会状態を研究せねばならない。(1.99.5-6)
 アメリカにおいて重要と考えられる社会状態は著しく民主的であるということである。

ハドソン河西南部とフロリダ諸地域における社会状態
 ニューイングランドの諸地域では貴族制というものが確立されることはほとんどなく、平等が支配していた。
 しかし、ハドソン河西南部とフロリダ諸地域ではまた違った様相をみせていた。ハドソン河西南部では大地主が定着するようになり、そこでは貴族的諸原則とそれに伴う相続法がとりいれられた。(1.100.13-15) 南部ではたった一人でも奴隷の力を借りて土地を耕すことができたため地主制度が確立しえたのである。しかし、彼らはヨーロッパから見れば貴族的ではなかった。なぜなら、彼らは何の特権ももっていなかったし、奴隷により耕作を行ったため小作人や農奴に対する保護者の地位ももっていなかったのである。(1.101.1-3) それでも、南部に発生した大地主たちは上層階級を形成し、政治活動をその階級内に集中化していった。この上層階級は一般大衆とあまり異なっていなかった。そして、人民大衆の情熱と利益とをたやすくだきこんだし、愛と憎とを刺激することはなかった。つまり、この上層階級は弱く、根強いものでもなかったのだ。

相続法
 このような一種の階級社会の姿を見せたハドソン河西南部やフロリダ諸地域でも平等への道が存在していた。それは相続法であった。
 相続法が、父の財産をすべて子に分配し、これを命令するとき二種類の効果が発生する。一つには財産の主人を変え、性質も変え、絶えず一層細分化していくという物質的で直接的な効果である。法制によって分配の平等が打ちたてられれば財産、特に土地財産は減少の一途をたどるであろう。
 二つ目には財産の所有者の心に作用し、彼らの情熱がこの法律に助けをもとめるという、大財産ことに大土地財産を急速に亡ぼす間接的効果である。
 長子権に基づいている相続法をもっている諸民族では土地財産は普通細分化されることなく、世代から世代にうけつがれている。その結果として、家族精神が幾分土地のうちに物質化されることとなっている。家族は土地を代表し、土地は家族を表しているのである。(1.104.1-3) しかし、相続法が平等な分配を確立すると、家族と土地保存との間に存在している密接なつながりを破壊してしまう。(1.104.4)なぜなら、土地は世代を重ねるごとに分配され、細分化され消滅することが明らかであるからである。また、土地所有者たちが土地を保存する感情や追憶や自尊心や、野心をもたなくなると、おそかれはやかれ、彼等が土地を売るようになるのは確かである。(1.104. 14-16) 土地を売りはじめる理由は二つある。第一に彼らは土地を売って金銭的な大利益を手にいれることができるからであり、第二に、その流動資本は他の資本より多くの利益を生み一層容易に彼等の瞬間的情熱を満足させることができるからである。(1.104.15-18)
 また大土地財産はひとたび分割されると再びもとに戻ることはない。なぜなら小土地所有者は大土地所有者よりもその耕地から多くの利益を得ることができ、小土地所有者のほうがより高い値段でその耕地を売ることができるからである。そのため、わざわざ高価な小土地を買い集め、安い大土地を作り上げることは考えないのである。
 このように財産の平等分配の法律は二つの道をたどっている。第一に物に作用することによって人間に作用し、第二に人に作用し物に到達するのである。(1.106.3-4)
 
相続法による土地分配の結果と現在
 アメリカにおいて、相続法による土地の分配、土地財産の破壊はすでに終わっている。そして、現在において、大土地所有者の姿は一般大衆の中に埋もれてしまっている。大土地所有者であった富裕な息子たちは商人や弁護士や医者になっていまっている。また、その多くの富者の子供たちは一般大衆のなかにまぎれてしまい、世襲的な身分や栄誉といったものまで消えてなくなっていまっている。このように、相続法は人々を同一水準に平準化しているのである。
 アメリカにも富者は存在している。アメリカほど金銭欲が人の心の中で大きな地位を占めているところはない。(1.107.14) しかし、同様にアメリカは信じられないほどの速さで財産は循環しているし、財産の恩恵に甘えるような国ではないのである。

知的平等
 アメリカでの平等は財産だけではない。平等は知性においても同様に見られるのである。アメリカでは初等教育は誰でも受けることができ、高等教育はほとんどの者が受けられない。
彼等は初歩的な知識は容易に手に入れることができるのである。
アメリカにはある一定の知的水準が確立されており、宗教、歴史、科学、経済学、法制、政治などに関してほぼ同数の諸概念を多くの人々が持っているのである。

アメリカの状況
 このようにして、アメリカができたときから貴族的要素は弱まっている。また、アメリカでは法律が民主的要素を優位においており、この要素を重要視している。アメリカでは財産、知性によって一層平等になっている。アメリカでは他のどんな国よりも一層強力に平等へと向かっているのである。

第二節 政治社会における平等

 アメリカにおける政治社会
 アメリカにおいて平等は政治社会においても浸透しはじめた。
 政治界に平等を支配させるには二つの方式がある。一つは各市民に権利を与える方式、つまり人民主権である。もう一つは唯一人の人間以外には誰にも権利を与えない方式、専制権力との二つが存在する。(1.113.3-4)
 アメリカにおいてはどちらの方式も当てはまり得た。
 人間の心の中には悪平等欲というものがある。つまり、低い水準の中での平等を求めるものであり、自由における不平等よりも奴隷状態における平等が偏重されるのである。これらは自由であることよりも平等を重視した結果であり、専制権力へと続くものである。
 また、他には市民たちすべてがほとんど平等であるときに、権力の攻撃をうけると、彼等自らの独立を防衛することは困難となる。そのため、すべての市民たちは力を結集して自由を保障することが必要である。これは人民主権へと繋がる。
 この二つの選択肢は非常に異なっているが両者とも同一事実からでているものである。
 この二つの結果からイギリス系アメリカ人は後者の人民主権をえらび、専制権力からまのがれたのである。そして、境遇、起源、知識、風習によって人民主権を創設し維持することが出来たのである。