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アメリカの民主政治

第二章 出発点

イギリス系アメリカの出発点

  イギリスの移出民によって始まったアメリカは最初どのような方法で殖民するよ うになったのか、社会的状態や法律などを分析し、定着時の状況を把握する。トクヴェルはこれを人間が生まれて大きくなっていくことに例えていて、「 諸民族は常に自らの起源を感知し、その出生にともない、そしてその発展に役立った諸事情は、その残りの全生涯に影響するのである」(1.64)と述べている。

民主的な自由

  同一言語を使っていた移出民はそれによって強く結合し、同一民族だという強い認識を持っている。
  粗暴な学校ではぐくまれた子供たちの政治教育は「ヨーロッパの大多数の諸民族においてよりも一層おおいに権利の概念と真の自由の原則が普及していた」(1.67)。これはコミュナルな(共同体的)政治ヘと発展させ、イギリスのチュードル王制にも影響を与えることになった。
  大体の移出民は幸福な人でも有力な人でもなかったので、「貧困も不幸も、人々の間に認められる平等へ最上の保証」(1.68)だったのである。こういう社会的環境の中で土地の使い方や所有上のことも今までのヨーロッパの貴族制からアメリカ特有の新しいブルジョア的な制度ができるようになった。
  アメリカの反逆的土地を開墾するにはその土地の所有者自身の不断な努力なしではできないもので、世襲的土地の所有はその姿を消し始め、誰でも努力が必要される、努力で保証されるいわゆる民主的な自由が現れるようになった。

アメリカ社会の基礎となるニュー・イングランド

  ニュー・イングランドが他の植民地と比べ、独創的な特徴をもったのである。他の植民地の移出民は本国で何かの原因でいられなくなったり、あるいは強欲な投機心を持っている人が主流であったため、まじめに定着することがなかなかできなかったのであろう。
  それに比べニュー・イングランドの移出民の場合は、裕福な階級に属していた人々であったため、風変わりな特徴を持ったと考えられる。またこの移出民たちは本国で非常に進歩した教育をうけたため、それを基に秩序のある定着ができた。
  このように、純枠で知的な移出民によって始まったニュー・イングランドはアメリカ社会の基礎と言っても過言ではないだろう。またニュー・イングランドは王が直接命令を下したり、総督に管理させたりせず、イギリスから自治を行う権利を与えられ、自由のある植民地になっていくのであった。
  自由をいじさせるためには、法律と刑罰が必要である。コネクティカット州の法典を見ると、聖書の本文からとりいれられていて、「天父以外の神を祟拝するものは死刑に処せられる」(1.79)のように宗教色が強く、人々はそこから安定をもとめたのであろう。そして「社会の道徳的秩序と良俗を維持しようとこころがけていたのである。」(1.80)。
  ニュー・イングランドの共同体はヨーロッパとは違って、市民の全体会議で処理させる、いわゆる自治的な政治が行われていた。この中で法律はあらゆる社会的欲求に対応するため宗教もとづいた法律作り、今まで闘っていた「宗教の精神」と「自由の精神」を巧みに結合したのである。