目次
トクヴィルがアメリカで見たもの
普遍的で永続する平等化
王権下におけるヨーロッパ
民主主義より生まれる混乱
民主化の中でのヨーロッパ社会
トクヴィルが本書で示すもの
トクヴィルはアメリカ滞在中に『地位の平等』(1.21)というものに注目した。この『地位の平等』というものは、法律、統治者、被治者に特殊な習慣をあたえている。そして、この『地位の平等』の影響力は拡大し、政府、人民にも支配力をもち、種々の意見を作りだし、種々の感情を生みだし、種々の習慣を促している。トクヴィルはアメリカ社会の研究をすすめるにしたがい、この『地位の平等』の中に、さきに述べたような特殊な事実を生み出すような母体的事実見るようになった。そして、『地位の平等』はトクヴィルが行ったアメリカ社会の観察が帰一する中心点ともいえる基本的事実となった。
『地位の平等』はアメリカ特有のものであろうか。いや、そうではない。それはヨーロッパにおいても同様に起こり、アメリカ社会を支配する民主政治もまたヨーロッパ世界では急速に強大な勢力となりつつあった。民主主義を推進する者はもちろん、反対する者でさえも、民主主義を産む地位の平等化に協力している。この地位の平等化への発展は神の摂理ともいえる事実であった。つまり、それは普遍的で、永続的で、人の意思と関係なく進行するものであるのだ。
ここでフランスを例にあげてみる。
十二世紀初頭のフランスでは、土地を所有し、住民を支配している少数の諸家族の間に分配されていた。この権力の唯一の源泉は土地財産であり、これらは世代から世代へと命令権とともに受け継がれていった。しかし、その上に聖職者の政治権力というものがあったが、聖職者はその地位をすべての人々に開放していた。つまり、貧民と富者、平民と領主、ともに政治権力を手に入れることができるという平等性をもっていたのである。
また、王たちは大きな試みに失敗して、没落し、貴族たちは私闘で力をすり減らしたりしたが、平民は商業で富裕となり、その金力が国事に力を及ぼすこととなった。
知識が広がると科学は政治手段となり、知性は社会力となり、有識者は仕事にありつけるようになり、貧民からの脱出の機会を得ることとなった。
このように様々な形で権力に達する道が発見されるにつれ、門閥の値打ちは低下していき、十三世紀には貴族の地位は金で買えるまでになり、平民から貴族へと昇格することが可能になった。
貴族は王権に対抗して争闘するために、そして権力を奪取するために、政治権力を人民に時折与えた。また、王も貴族の地位を低めるために国家の下層階級に政治参加をゆるすことがしばしばあった。このようにして、平等が政治の中にもゆっくりと取り入れられていった。
平等主義者のうちで最も積極的で最も持久的であったものは王であった。彼らが野心に富み強力であるときには人民を貴族の水準まで高めるように努力し、平凡で弱いときには、人民が自分の上位に立つことを認めていた。このように貴族、平民、王の地位の平等化を促すことで民主主義を助けることとなっている。
市民が土地を所有し始め、動産が知られようになるとこれがまた権力を与えるものになった。技術上の発見、商工業の完成化などによって、平等の多くの新しい要件のようなものがつくられていった。
このように民主主義の支配は文明と知識との発展とともに意図せずして拡大していくのである。
そして、その文明と知識が発展するにつれ、ある一つの出来事が起こっているのがわかる。それは二重の改革である。社会状態において、貴族が社会的地位を低落することと平民の地位が高まることの『二重の革命』がおこっていることがわかる。そして、貴族と平民はいつか接触するようになり、地位の平等化は明確なものとなるであろう。
では、平等化が起こる前のヨーロッパの状況とはどのようなものであったであろう。
貴族によりかかっている王権がヨーロッパの諸民族を平和に支配していたとき、社会は惨苦とともに多くの種類の幸福を味わっていた。
臣民たちの権力は君主の圧制を許すことのない障壁となり、王は群衆に神のような性格をもつ者と思われていたが、その群衆の畏敬により、その自らの権力を濫用しないという意思を持つこととなった。
貴族は人民から遠く隔った高い地位にあったが、牧人が家畜に持つかのような親切さと平穏な関心を人民に対してもっていた。そして、貴族と貧民は平等ではなかったが、人民は、自分たちの領主と平等になるとは想像もしなかったが、領主の恩恵をうけていたし、領主の権利に反対をすることもなかった。そして、人民は領主が寛大で正しいときには彼らを敬愛し、厳しいときにはそれを不可避の災害のように感じ、苦痛をおぼえることも、卑屈になることもなく服従した。
貴族はその特権を奪われるとも思わなかったし、農奴はその劣った地位を不動な秩序の表れと感じていた。したがって、非常に異なった彼らの階級の間には一種の相互的な友好関係が打ちたてうると考えられた。
不平等と貧困とが見られた当時の社会に心の堕落はみられなかった。なぜなら、人間を堕落させるものは権力の行使や服従の習性ではないからである。不正だと考えられる権力の行使と奪取されたもの、圧制的なものとしてみなされる権力への服従こそが堕落を引き起こすのである。当時の貴族には財宝、力、暇、奢侈の追及、優雅さ、趣味、快楽、芸術の尊重存在していた。人民には労働、野卑、無知が存在していたが、それとともに、精力的情熱、一般的感情、深い信仰、野性的美徳が認められていたのだ。
つまり、王権下にあった社会は安定と力と栄誉を保持することができたと考えられる。
民主主義より生まれる混乱
民主主義を取り入れ、先に述べたような過去の社会状況から離れることによってヨーロッパ諸国は何を得ることが出きるであろうか。
民主主義を受け入れることで、祖先の作った諸制度や理念、風習などをむやみ我々は捨ててしまっている。王権の尊厳は法律の威信へと変わることなく消えてしまっているし、人民は権威を軽蔑しているが恐れている。
財産の分割は貧者と富者との距離を近づけるが、両者は近寄ることによって互いに憎しみあい、権力から相手を退けようとする。そして、両者において力のみが唯一の存在理由として残り、それがまた将来の保障としてあらわれることとなる。
貧民は祖先たちの信仰をもたずして、大部分の偏見をもち、その美徳を持たずして無知を保存している。貧民は利益追求を行動規則としてもっているがそれに対する科学を知らない。そして、貧民の持つ利己主義も、貧民の献身に含まれていた心の輝きをもっていないであろう。
社会は、その力とその福祉とを自覚しているためではなく、自らの弱さと不安とを感じるためにひっそりと静かなのである。
このようにかつて貴族社会にその身をおいていた世界は昔の状態に含まれていた善なるものを捨ててしまった。そして、さらに悪いことに世界は民主主義から現状態が与える有用なものを手に入れていない。つまり、ヨーロッパにおける民主主義はその前進をはばまれ、支柱も存在しない状態で見捨てられているのである。
このような民主化の中でのヨーロッパ世界をトクヴィルは次のように見ていた。
『その世界では何ものもつながりをもっていないし、徳は天才をもたず、天才は栄誉なきものである。そこでは、秩序への愛は圧制者の好みと自由の神聖な崇敬は法の蔑視と、混同されている。そこでは何ものも、名誉をも、恥辱をも、真理をも、誤りをも、擁護もしないし、また認めてもいない。また、そこでは、宗教的な人々は自由に反抗して闘っており、自由を掲げる人々は宗教を攻撃している。高邁な一般的な精神をもった人々は奴隷制を誉めたたえ、下劣な奴隷根性の心をもった人々は独立を鼓吹している。礼儀正しい知識ある国民はすべての進歩の敵であるが、愛国心ももたず上品な品性をもっていない人々は文明と知識との使徒となっている。』(1.p38.12)(1.p38.6)
トクヴィルはこれが普遍的な世界形態とは考えることはしなかった。彼はもっと平穏で安定した未来をヨーロッパの諸社会に見出そうとしていたのである。
また、トクヴィルは民主主義革命の自然的限界に到達している国としてアメリカを挙げている。アメリカのような平等な社会によってうまれた政治形態が民主主義が与えられうる唯一の政治形態であるとは考えられない。しかし、フランスでもアメリカでも法律と道徳とを生む原因が同一である。トクヴィルはこの原因によってつくりだされている法律と道徳とはどのようなものであるかということを探ろうとしてたのである。
トクヴィルはアメリカを調査した理由はそこにヨーロッパ社会にも適用しうる教訓をみつけたかったからであるとしている。彼はアメリカ人を平和的に民主主義を発展させたものとみなし、民主主義の傾向、性格、偏見、情熱といった民主主義そのものの真の姿をアメリカにおいて追求しているのである。ここから見えてくる自然的諸結果を明確に判別し、これを人々に役立たせる手段を探そうとしている。
このために、トクヴィルは民主主義が法律に与えた方向、政治に刻印した前進、事業の上に獲得した力を、明らかにしようと努め、民主主義によってつくりだされた善いものと悪いものとが、どのようなものであるか知りたいと考えた。そして、民主主義に社会を支配させている諸原因を明らかにするために、アメリカ人が民主主義を指導するためにどのような用心をなしたか、そして、他のどのような用心をなさなかったかをさぐったのである。
つまり、この書においてトクヴィルが求めたものはアメリカにおいて地位の平等と民主政治とが、市民社会に、習性に、理念にそして道徳に、働きかけている影響を描写することであり、それよりヨーロッパ社会における民主化を立て直す教訓を探すことである。