2000年4月19日 「スペシャリスト」についての感想

「スペシャリスト」を観て

映画『スペシャリスト』の感想(1)

私がこの映画「スペシャリスト」を見て第一に感じたことは、人間らしさとはということである。この映画の主人公、アイヒマンはこの映画の中で、組織の歯車として、自分の意志をもたずに大量殺戮に手を染めてしまった、見方によってはかわいそうな犠牲者のようにも見える。しかし果たして普通の人間が、自分の死刑裁判の中であのような平然な態度でこれまでの自分の犯した罪と向き合い、自分が単なる歯車であったと主張できるものであろうか。彼が、自分だけが生き残ればいいと思うような、心から冷酷な人間だったのか、あるいは戦争という状況においてだれもが機械のような冷たい心をもたなければならなかったのだろうか。すごく、根本的なことである私はそのことがすごく気になった。
私はこの映画の中でどうしてこのようなことが起こってしまったかということも、もちろんかんがえるべき問題であると感じるが、その前に人間らしさとはなんであるかというようなもっと根本的な問題も感じた。

映画『スペシャリスト』の感想(2)

「スペシャリスト」の中で、私はアイヒマンをただ一人のふつうの人間だと感じた。ナチス政権下のような組織的社会において、与えられた任務に忠実に従う事はもしかしたらやむをえなかったのかもしれない。
だからといって彼の罪が正当化されるべきものでなかったのは確かだ。人間を大量虐殺するという行為について、彼は何も感じなかったのだろうか?自分が指揮すれば何百万の人が死ぬという状況を理解できなかったはずがない。これこそが、彼が裁判にかけられ、彼の罪を審議しなければならなかった理由のように思う。これは私たちが考えなければならない人間性の問題であるのではないか。


映画『スペシャリスト』の感想(3)

この映画の主題は、ナチスがいかに非人道的な行為を行ってきたかという事実、といったことではなくさらに先に進んだ問題意識を喚起する。アイヒマンの描かれ方からそれが受け取られる。
アイヒマンはナチスドイツの中で、ユダヤ人を強制収容所に送り込む手配を行っていた。
直接虐殺に関わっていたわけではない、と彼はそのことを裁判の過程で主張する。しかし、傍から見たら彼は「ユダヤ人撲滅」という大目的を掲げたナチスの中で、その役割の一端を担っていたのだ。少なからず、本人がどう考えていたであろうと、この目標に賛同して自発的に仕事を行っていた、そう考えてしまう。
「組織」の中で生きる「一個人」として、責任の問題がうやむやになっている。そこに私はやり場のない憤りを感じた。つまり、私たちの怒りが行く先の「責任主体」がないのだ。
この「責任主体の不在」「目には見えない暴力」が当時の人々に強く恐怖を与えていたのだろう。
個々の事実からマクロ的な視点に目を移すとはっきりわかる、この時代の異常性を、暴力的な社会を。
しかしもう一度よく考えてみると、形こそ違うが現代の社会にも同じようなことが起こっているのではないか。そういった問題をこの映画では提起しているように思った。


アーレント『人間の条件』第一章

『人間の条件』(1)

5月10日発表 

              984649 渡部 都


第2章 公的領域と私的領域


4 人間━社会的または政治的動物


 <活動的生活>とは必ず人々と人工物の世界に根ざしている。物と人はとは、それぞれの人間の活動力の環境を形成しており、このような場所がなければ人間の活動力は無意味である。
また人間の活動力はすべて、人々が共生しているという事実によって条件づけられている。しかし、その中でも人々の社会を除いては考えることさえできないのは活動だけである。つまり、活動だけが他者の絶えざる存在に完全に依存しているのである。
活動と共生がこのように密接に関連していることを考えるとアリストテレスのいう政治的動物が社会的動物という語に訳されたことは、まったく正当だと考えられる。しかし、このように政治的なものを、無意識のうちに社会的なものに置き換えたということは、政治に関するもともとのギリシャ的理解がどの程度失われたかということをあらわしている。社会的という用語が基本的な人間の条件という一般的な意味を獲得し始めるのはヒトの社会という概念ができてからである。
ギリシャ思想によると、政治的組織を作る人間の能力は、家庭と家族を中心とする自然的な結合と対立していると考える。人間の共同体に現れ必要とされるすべての活動力のうち活動と言語だけが政治的であるとおもわれ、アリストテレスのいう政治的生活を構成するように思われた。
活動と言論という二つの人間的能力が同じ物に属し、すべての能力のうちで最高の能力であるという確信はソクラテス以前の思想に現れていた。言論と活動は同時的なもの、同等なもの、同格のものである。いいかえれば、正しい瞬間に正しい言葉を見つけるということが活動であるということも意味していた。
ポリスとは政治体の中でももっとも饒舌な政治体と呼ばれていたが、そこから生まれた政治哲学において、活動と言論は分離し独立した活動力となっていった。その言論というのは、人間的な方法としての言論というよりは説得の手段としての言論に移った。ポリスで生活するということは、力と暴力によらず言葉と説得によって決定されるという意味であった。つまり、命令して人を使うことはポリスの外部の生活に固有のもの、つまり家長が専制的権力によって支配する家庭や家族の生活に固有なものであると考えていた。
人間を政治的動物と規定するアリストテレスの定義は、家族生活で経験される自然的結合と対立していた。この定義に人間とは言葉を発することのできる存在という彼の第二の定義を付け加えたときに彼による人間の定義は完璧に理解される。
5 ポリスと家族
社会という言葉の近代的使用法と近代的理解は難しい問題である。
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、共通世界に係わる活動力と生命維持に係わる活動力━これらの二つの間の区別は古代の政治思想が自明の公理としていた区別である。しかしながら私たちの理解ではこの境界線はまったく曖昧になってしまった。なぜなら私たちが人間の集合体や政治共同体というものを巨大な民族大の家政によって日々の問題を解決するある種の家族にすぎないと考えているからである。すなわち家族の集団が経済的に組織され一つの超人間的家族の模写となっているのが社会であり、その政治的組織が国民である。


外国人労働者関係年表

ドイツ外国人労働者関係年表

1947 マーシャル・プランによって経済復興を始める。

1948 ベルリン封鎖

1949 東西ドイツの成立

1950_60 本格的復興拡大の時期、「奇跡の経済復興Wirtschaftswunder

 経済成長率は1951年〜1956年に9.4%、1956年〜1960年に6.6%。

 労働市場での需要が増大。

1950年代前半までに東ドイツおよび旧東部ドイツから約1300万人の難民が西ドイツに流入。

  1. イタリアとリクルート協定

     それ以後、他の国々とも次々と協定を結ぶ。スペイン、ギリシャ(1960)、トルコ(1961)、モロッコ(1963)、ポルトガル(1964)、チュニジア(1965)、ユーゴスラビア(1968)

     労働者の募集・仲介・統制を行ったのは「連邦職業紹介・失業保険庁Bundesanstalt f_r Arbeitsvermittlung und Arbeitslosenversicherung」(1969年に「連邦労働庁Bundesanstalt f_r Arbeit」に改組)

1961 「ベルリンの壁」建設

 外国人労働者は急増し、1957年に10万人だったのが、1973年秋には260万人に達した。

1973   石油危機

     外国人労働者の国外募集を停止(Anwerbestopp)

     70年代 「家族の再結合」の時代

     外国人法と労働許可に関する法令が改正

     一定の条件に従い、期限の定めのない滞在許可、滞在資格を本人およびその家族に与える

_8年を超えて中断なく雇用されている場合には、期限の定めない特別労働許可を与える

1983   外国人帰国促進法

  1. 新外国人法制定

外国人の入国、滞在の許可条件は以前より明らかに厳しくなり、流入制限の方向へ。ひとたび滞在許可を得た外国人の権利を拡大、明文化し、社会的統合の努力を目指す。

参考文献

桑原 靖夫(1991年) 『国境を越える労働者』 岩波新書

外国人排斥運動/ネオナチ

事件1

 1992年8月22日 旧東ドイツロストック 難民収容所襲撃。若者を中心とした150人ほどの一団が、収容先として使われている建物に投石、火炎瓶を手にとって押し寄せた。難民収容所は、亡命申請をした難民を一時的に収容するためのものであった。24日には、約300人の難民たちは州政府により非難させられた。その多くはルーマニアやポーランドからのシンティ・ロマだった。その後、彼らの暴力の矛先はベトナム人へと向けられた。東ドイツは、ベトナム、モザンビークなどの社会主義諸国と国家間協定を結び、外国人を呼び寄せて労働力を補っていた。ドイツ統一後、彼らは国に帰ることとなったが一部の人々はドイツに残り外国人労働者としての生活を送っていた。22日襲撃があった収容所の隣には120人あまりのベトナム人が住んでおり、彼らの建物にも火炎瓶などが投げ込まれ、大きな火災となった。

 この事件に対し、世論、特に政治家たちは驚くほど寛容だった。統一後、西との経済格差はいっこうに縮まらず、親は失業、自分たちの将来の見通しが立たないまま社会不安を強める若者たちが、いらだちを強めるのは当然だという声が少なくなかった。この事件を境に政府は難民の大量流入を防ぐことこそ第一義であり、そのためには難民に対して(1)庇護権を保証する基本法を変えなければならないという主義を保守与党は強める。つまり、外国人を襲うネオナチや極右の集団が問題ではなく増えすぎた難民こそ問題で国家を危険に陥れていると考えたのである。

事件2

1992年11月23日、ドイツ メルンで火事が起きた。子ども二人を含む三人の女性が死亡。窓から飛び降りた人たちも大けがを負った。犠牲になったのは、トルコ人の家族だった。メルンの事件はドイツを大きく揺さぶった。外国人襲撃が日常茶飯事となり、暴力がエスカレートする中で、これを機にようやく市民たちが立ち上がり、外国人に対する暴力を批判するデモが各地で行われ、人種差別に反対するコンサートなども積極的に開かれた。

事件3

 1993年5月28日 ルール工業地帯の南、ゾーリゲンでトルコの家が放火され5人が命を失った。この家族は60年代から労働者としてドイツにやってきて、その後家族を故郷から呼び寄せたり、結婚したり、子どもが生まれたりしていた。そして、事件で犠牲になった5人のうち4人はドイツで生まれ育った移民の二世・三世たちだった。

事件の2日前、基本法第16条_「政治的に迫害されている者は亡命権を享受する」という庇護権を政府は改正していた。16条の条文自体は撤廃しないものの、さまざまな制約を付け加えて、実質的には骨抜きという形での改正だった。この法律を変更しさえすれば、外国人をめぐる問題が解決するかのように言い続けてきた保守与党であったが、これはまた「外国人はでていけ」と叫びながら、外国人を襲い、難民の住居に火をつけてきた極右にとっても大きな勝利となってしまった。「出ていけ」という主張が認められたも同然であり、外国人を追い出すための実力行使が実を結んだと彼らが思ったからである。つまりこの16条の改正は今までの外国人排斥運動を肯定し、この事件を引き起す結果となってしまった。

こうした暴力事件の容疑者の70パーセントは16_21歳と、圧倒的に若く、ほとんどが男性である。そのうえ、こういった行動を起こす彼らは決して世間のはみだしものというわけでもなく、ごく普通の若者達なのである。

統一後の社会不安

 このような外国人排斥運動が高まりをみせたのは、まさに統一という要素が大きくかかわりあっている。

 統一後、東の国営企業は次々と潰れ、統計上だけでも失業率は15%にのぼり、100万人以上の人々が職を失っていた。西側でも統一前からかげりが見えていた経済が東への援助という負担を背追い込むことで悪化し、94年には東西全体で失業者が400万人にのぼっていた。

 東と西が、お互いを助け合うのに必死な状態であるのに、ましてや外国人の手助けなどしていられない、それが彼らの率直な意見だった。また、統一以前にドイツにやってきた外国人労働者は彼らにとって、余計な競争相手以外のなにものでもなかった。 そういった社会的不安がドイツ国民に対し憎らしい外国人という観念を植え付けてしまったといっても過言ではない。

一時滞在者としての外国人

ドイツには約650万人の外国人が住む。もっとも多いのはトルコ人で180万人を超える。そのほとんどは、戦後西ドイツが経済成長を遂げる中、労働力が不足し、外国に労働力を求めた時期にやってきた労働者とその家族である。一番多いときで年間10万人近い外国人が労働者として迎えられた。はじめは経済発展の助けだった労働力もしだいに労働力不足が解消し、失業問題が広がっていく中、73年には外国人労働者の募集が打ち切られた。ドイツ政府はこうした外国人労働者を常に、一時滞在者とみなしてきた。つまり、彼らは選挙権、市民権も必要無いという態度をとってきたのである。国全体が彼ら外国人労働者を受け入れないという態度を示していたのである。

モダンナショナリズム

 先程にものべたように、こういった外国人襲撃事件を起こす大半は若者である。ではなぜかれらがこのような行動に走ってしまうのか?その答えには極右組織が深く関係している。

失業など社会不安に直面し、先行きが見えない中、揺れ動いている若者たちの心情を極右組織は巧みに操っている。いままでの集団、規則がいっさいなくなり自由となったはずの東の人々。だが西に抱いた期待とはちがい、そこには失業というおおきな社会不安が待ち構えていた。そしてそういった不安を同じように抱えた若者たちは連体を求め、その連体という形で極右の組織が巧みに動いているのだ。これらの団体は彼ら若者をひきつけるために、絶対服従を命じたり組織に縛り付けたりはしない。雑誌やパンフレットで思想を広め、若者が集まるコンサートや旅行といったものを企画し、そのなかで緩やかなつながりを作り、ネオナチのデモなどがあれば声をかけて呼び出す。参加者たちの間に強固なヒエラルキーを作ることはしないが、情報だけは常に広め、みんな顔見知りで、何かあれば動員することのできる態勢をつくっておく。これこそが、モダンナショナリズムであり、若者たちの気を上手く利用しているのだ。                          

参考文献

  山本 知佳子(1993年)『外国人襲撃と統一ドイツ』岩波書店


庇護権

補足:「庇護権Asylrecht

 ナチ支配の時代に迫害を受けた多くの人たちは、他国に亡命し、生きのびた。その経験をふまえて、西ドイツは、戦後、亡命者を受け入れる国になろうという立場から、基本法に政治的迫害を受けているものは亡命権を享受すると記した。

第16条 (国籍、引渡、庇護権)

_ドイツの国籍は、これを剥奪してはならない。国籍は、法律の根拠に基づいてのみ、しかも、当人の意思に反する場合は、当人がそれによって無国籍にならない場合にのみ、その喪失が許される。

_いかなるドイツ人も、外国に引き渡されてはならない。政治的に迫害された者は、庇護権を享受する。

Artikel 16

[Staatsangeh_rigkeit,Auslieferung,Asylrecht]

(1) Die deutsche Staatsangeh_rigkeit darf nicht entzogen werden. Der Verlust der Staatsangeh_rigkeit darf nur auf Grund eines Gesetzes und gegen den Willen des Betroffenen nur dann eintreten, wenn der Betroffene dadurch nicht staatenlos wird.

(2) Kein Deutscher darf an das Ausland ausgeliefert werden.

Politisch Verfolgte genie_en Asylrecht.

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)基本法Grundgesetz f_r die Bundesrepublik Deutschland



グローバリゼーション新たな排除の世界システム

伊豫谷 登士翁「グローバリゼーション:新たな排除の世界システム」『世界』2000年10月号


 多国籍企業を典型とするグローバル資本は、当初、資本配分と市場の効率を向上させ、経済成長がもたらされると信じられていた。しかし、実際にはその恩恵をうける富裕層とそこから排除された貧困層という明確な線引きがされてしまった。しかもその線引きは今や発展途上国と先進国という地理的に分割された世界を超えて現れてきている。
 このグローバリゼーションが私たち現代人に与えたものはこれだけではない。家族や共同体、あるいはコミュニティーといった空間の喪失、貧困の悪化や雇用の不安定化、またそうしたことからくるアイデンティティーの喪失への不安や恐怖、こういった現代人特有の問題もこのグローバリゼーションが深く関わっていると著者は考えている。
 では、それらの関係をグローバル資本蓄積メカニズムの2つの特徴から具体的に考えていこう。
まず一つ目の特徴として考えられるのは、資本の柔軟性である。その象徴的なものとしてあげられるのは「グローバルドリーム」と呼ばれる文化的商品である。具体的には映画、テレビ、ビデオ、音楽、テーマパーク、リゾート、ブランドなどである。つまり、デザインやコンセプト、経営管理機能、マネー・ゲーム化した金融、研究開発などが価値を生むのである。いままでの効率や便益や快適を提供してきたモノの生産やそれに伴う従来のサービスにとって代わったのが、まさにこれらの記号生産なのである。
 これらの柔軟な資本は硬直した労働市場を解体し、結果的には、労働市場を経営管理や高度技術の専門家集団とルーティーンワークの単純な事務・生産労働集団とに分割し、あらたな経済基盤を作り上げていったのである。こういった経済基盤の大幅な変化は実際に雇用を不安定化し、人々の不安へとつながっているのである。
 第二の特徴は労働力の再生産過程の包摂である。かつて、近代資本主義の蓄積は、3つの条件により成り立っていた。
 (1)家事や育児などの女性の無償労働による家庭内再生産領域。
 (2)教育や医療のような近代国家によってになわれる公的再生産領域。
 (3)市場活動としておこなわれる私的再生産領域の3つである。
しかしながらグローバリゼーションが女性という新しい労働力を動員することで、家庭内の再生産領域と公的な再生産領域が私的な再生産領域へ移行するという現象がみられるようになった。つまり、家庭による再生産機能の低下が現れ、それを有償の再生産労働に代置され、国家の再生産過程への介入も縮小する。こうなることで、家族は解体され、コミュニティーといった空間もいつしか排除される現象があらわれはじめているのである。